日本が滅びるかどうかは、日本人の信仰心にかかっているのではなかろうか。そんなことをふと考えてしまった。あまりにも今の日本人は、不甲斐なさ過ぎるからだ。富岡幸一郎は『新大東亜戦争肯定論』で、折口信夫の言葉を紹介している。昭和20年夏、敗戦を前にして、折口の胸にある啓示が浮かんできて、愕然としたのだった。「あめりかの青年達がひょっとすると、あのえるされむを回復する為に出来るだけの努力を費やした、十字軍における彼らの祖先の情熱をもって、この戦争に努力してゐたのではなかろうか、と。もしさうだつたら、われわれは、この戦争に勝ち目があるのだろうかといふ、静かな反省が起つてきました」。折口は昭和24年6月に執筆した「神道の新しい方向」でも触れているが、米国の圧倒的な物量に負けただけではなく、信仰心においても劣っていたという指摘は、あまりにも衝撃的である。民主党政権が誕生し、日本という国家のかたちを否定してきた者たちが、権力の中枢に群がっている。それを打倒するためには、折口が問題にしたような、ある種の信仰心が求められるのではないか。先の戦争では、日本は敗れたとはいえ、大義に殉ずる若者が陸続としていた。しかし、今の時代にあっては、ほんの一握りではなかろうか。日本の滅亡するのは、精神的な荒廃によってなのである。
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