検察までも腐ってしまっていては、この国はザ・エンドではなかろうか。そこで問題になるのは、忠誠対象のあるなしだ。政府に忠誠を誓うのでは、あまりにもばからしいし、国民ということになると、漠然としており、世論なるものも信用ができない。そうなると、天皇陛下しかおられないのではなかろうか。自分のことを考えずに、無私の心をもっておられ、日本の文化や伝統に立脚されているからだ。しかも、時の政治権力から離れていられることで、国民との信頼関係は、時代を超えて結びついているからだ。日本の天皇について、松永材は「天皇はただ生命道の本質(一系)を顕現して、これを世界人類に標示しつつ万世に亘って歴史の荒波に屹立しここに人類救済の最高意義を発現しておる」(『尊皇維新の論理』)と書いていた。どんな人間であろうとも、過去からの連続性によって存在しているのだ。それをシンボリックに語っているのが天皇制である。だからこそ、天皇陛下におかれては、今は亡き先人の声に耳を傾けるために、無私を貫いておられるのである。日本の司法までもが危機に見舞われているなかにあっては、忠誠対象を明確にすべきだろう。守るべきは万世一系の大義であり、それを具現化してきた天皇制であることを知れば、おのずから司法関係者も、身が引き締まる思いがするはずだ。死守すべきものが何であるかを、今こそ真摯に考えるときなのである。
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