草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

中共へ幻想を抱いた進歩派マスコミを嗤う

2010年09月26日 | 政局
 中共の恐ろしさを知ったわけだから、そこの息のかかった人間に参政権を与えることの危険性について、日本国民も学習したと思う。相手は一党独裁の国家であり、国民は忠実な僕になるしかないのである。にもかかわらず、朝日新聞などは、それに賛成していたのだから、媚中派といわれてもしかたがない。そもそも、進歩派を名乗っているマスコミは、明日にでも国家が死滅するかのようなことを言い立ててきた。だからこそ、「地球市民」とかいう言葉を使いたがるのだ。しかし、現実はそれとまったく違う。日本の独立と主権が外国勢力によって危機に瀕しているのである。にもかかわらず、利害が衝突する国の人間に、いくら地方レベルとはいえ、この国の政治を委ねようというのだから、あいた口がふさがらない。それにしても、日本人の平和ボケには困ったものだ。トロイの木馬のように、自分たちが滅亡するにも知らずに、わざわざ城の中に入れようとしたのだから。もうこうなったならば、中共との友好関係などという幻想を抱かずに、力には力で対抗するしかないのである。少しでも弱みを見せれば、こてんぱにやられてしまうわけだから。

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「限界状況」としての現実を直視するのが保守政治だ!

2010年09月26日 | 思想家
 日本という国家が大変なことになっているのに、それでも民主党政権を支持するのは、自滅へとひた走りたいのだろうか。国民もどうにかしている。常軌を逸してしまったのではないか。国のかたちを破壊しようとする勢力に加担し、自ら混乱を引き寄せているからだ。ドストエフスキーの『悪霊』の冒頭を飾ったルカ福音書、第8章32節から36節の文章が思い出されてならない。豚に入ることを願った悪霊をイエスが許すと、「悪霊ども、人より出でて豚に入りたれば、その群れ、崖より湖にくだりて溺る」という衝撃的な文章である。奇跡をもたらすイエスが現れなければ、日本人全体が溺死した豚と同じ運命を辿るのだろうか。何もかもが信じられなくなって、デスペレートな気持ちになっているわけだから、どことなく現実味がある。あくまでも絶望を引き受けることを説いたのが、民社研の武藤光朗であった。「日本を祖国とし、日本人としての遺伝的素質をあたえられ、日本語を使い、日本の精神的伝承と日本の自然の中で育ちながら、いま自分の人生を自由に生きようとしている者にとって、こうした歴史的由来からくる状況の狭さは、ヤスパース的意味での限界状況として受けとめられるべきものであろう」(『限界状況としての日本』)と書いていたからだ。希望的観測を捨てて、厳しい現実に直視する勇気を持つべきだというのだ。それができるのは、リベラルな勢力ではなく、日本に根ざした保守の勢力なのであり、民主党政権誕生による甘い夢からは、一日も早く覚めなくてはならないのである。

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リアリストに徹しきれない菅首相で国滅ぶ

2010年09月26日 | 思想家
 政権交代をすれば、バラ色の夢が広がると思っていた国民も、やることなすことデタラメばかりの民主党政権には、ホトホト嫌気がさしたのではなかろうか。しかし、そんな政党にとんでもない数を与えてしまったのである。いくら気づいたとしても、今からでは遅すぎる。だからといって、自民党が良いというわけでない。それでも、民主党よりは安心できるのではなかろうか。鳩山由紀夫前首相にしても、菅直人首相にしても、何を言い出すか、何をやらかすか、危なくて見ていられないのである。司馬遼太郎ではないが、革命は三代で成立するというのは、それなりに説得力がある。初代は吉田松陰のような革命思想家であり、多くは刑死する。二代目は高杉晋作のような乱世の雄である。結局は非業の死に斃れねばならない。そして、三代目が伊藤博文や山県有朋である。理想よりも現実を重んじるのが三代目なのである。菅首相は三代目になるべきなのに、中途半端過ぎるのではなかろうか。保守的の政治家としてのポリシーを持っていないからだ。山口県出身であることから、菅首相は奇兵隊をよく持ち出すが、そこにとどまっていては、展望は拓けないのである。伊藤博文のように、ここ一番というときには、大胆な妥協をして、世の中を安定させることだって必要なのである。そこで問題になるのは、菅首相にそれだけの度量があるかどうかだが、日本の不幸は、にやけたあの顔からは、それが感じられないことだ。

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