草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

聖なるものに立ち還ろうとする保守派の変革へのパトス

2011年08月15日 | 祖国日本を救う運動

 今日は日帰りで上京し靖国神社に参拝したが、近くで行われていた在特会主催の集会を覗いてみた。反天連のデモを迎撃するという触れ込みであったが、動員力の点で上回っていたばかりでなく、秩序だった戦いを繰り広げて、権力に付け入る隙を与えなかったのも立派だった。私のような70年安保騒動を目のあたりにしてきた世代にとっては、あのときの高揚感と同じものを感じた。すでにマルクス主義は死を宣告されており、拠り所とすべきは、天皇や日本という国家であることに、若者たちは気づき始めているのだろう。「聖なるもの」を持ち出すことによってしか、変革へのパトスは生まれないからだ。山口昌男が「与えられたものとしての日常性を突破して、何物かに立ち還ることによって自己を蘇らせ、世界を蘇らせる試みであるとするならば、それは世界のなかに聖なるもの(己れが真に拠って立つことの出来るもの)を確立する試みの謂いにほかならない」(『人類学的考察』「失われた世界の復権」)と書いているように、根本に立ち還る運動というのは、本来は「聖なるもの」と密接なはずなのに、サヨクはそれを見失ってしまったために、地盤沈下が著しいのである。それと比べて保守派の市民運動が燎原の火のごとく広がっているのは、「聖なるもの」を中心に据えているからだろう。  

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靖国の英霊が望んでいるのは日本の真の独立だ!

2011年08月15日 | 祖国日本を救う運動

 今日これから靖国神社へ出かけてくる。いつもの通り、車を鬼怒川に置いて、電車で上京する。日本が危機を迎えているときだけに、先人の前で頭を垂れて、今後のことを考えるよい機会だと思っている。後に続くを信じて散っていった者の意思を、どのように実現するかが、生者としての私たちの使命である。日本人であることを再確認する祖型として、死者に手を合わせるという行為がある。それを通じて、日本の心が受け継がれてきたし、今後も受け継がれてゆくのである。さらに、多くの国民が靖国神社に集うことで、この国を守ろうとする国民の団結心が形成されるのだ。歌謡曲や軍歌のなかで、死者として靖国神社で再会するという歌詞がある。庶民の多くはそれを信じて、海に山に散華して逝ったのである。大東亜戦争に敗北したことで、日本は国家としての体裁を失い、亡国の道を歩むことになった。今回の原発事故にしても、核の平和利用をストップされ、米国の原発を導入することを強いられた、我が国の悲しい現実があったからだ。平和利用の名の下に、米国の二番煎じ三番煎じのものを、無理矢理買わされたのである。日本は独立国家としての歩みをすべきであり、それを望んでいるのが靖国神社の英霊たちなのである。

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民主党代表選を嗤う 10句

2011年08月15日 | 川柳

馬鹿野郎そのものズバリ顔そろえ

国荒らす口先だけの三人目

上島のそっくりさんはお公家顔

マスコミが騒くだけなり空々し

自民より手が悪いだけ国廃れ

子を守れ願いむなしいダメ政治

ヤクザとか在日ばかりの党なりき

在日の闇に連なるエージェント

 孫末代被曝の恨み恐ろしや

国民にそっぽ向かれし茶番かな  

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