反近代というのは、保守派のスローガンである。私が反原発の運動に違和感を持たないのはそのせいだ。しかし、サヨクとは一線を画する。彼らは未来を約束された世界と位置づけ、楽天的な見方をしている。近代主義の一変種であるサヨクに、どうして私が与することができよう。放射能に怯えている人の側に立つのは、反近代の情念に心揺さぶられるからであり、私はそれを恥じようとは思わない。日本浪漫派の保田與重郎は、目指すべき理想を、経済合理性に求めはしなかった。それをアメリカニズムと呼び、マルクス主義と一緒に打倒すべき対象とした。「新幹線が出来、ジェット機がとびというようなことは、人の心をゆたかにも、美しくも、うれしいさまにも、幸福のものにもしない。それらは美しかった自然を破壊し、のどかだった日本の村々を荒廃させた面の方が多いのである」(『日本浪漫派の時代』)。そして、生きているという実感を失ってしまい、「ただ動いている状態」(同)に堕落してしまった。時が経てば幸福になるという思い込みは、現実とは一致しないのである。保田の叫びに共鳴する私は、原発によって利便性を競う哲学とは、もっとも縁遠い。文明開化に背を向け、電線の下を扇を掲げて歩いた、神風連の末裔なわけだから。
民主党政権の嘘は聞き飽きたが、細野豪志原発担当相の緊急時避難準備区域をめぐる発言も、結局は地元自治体への丸投げで終わりそうだ。昨日あたりは、地元自治体の意向を尊重する、と言い出したからだ。細野は原発事故収束に向けた動きを演出するために、あえて指定解除を持ち出しているが、それを実現するためには、放射能を除染をする必要がある。そうでなければ、3月11日以前の生活に復帰できるわけがない。福島第一原発が水蒸気爆発をしなくても、このまま放射性物質による汚染を放置してはおけば、健康への影響は甚大だ。それもしないで、安全な所に避難した人々を、高濃度汚染地帯に戻すというのは、狂気の沙汰ではなかろうか。除染すべきエリアは、今年は1000平方キロ、来年は数千平方キロに達するとみられている。飯田哲也NPO法人環境エネルギー政策研究所所長によると、それにかかる経費は数百兆円だという。緊急時避難準備区域にとどまらずに、その外にあたる福島市や郡山市でも、線量低減が大きな問題となっており、それを解決することが先決で、順番が違っているのではなかろうか。しかも、それは町内会などのボランティアのレベルではなく、国家的なプロジェクトとして取り組むべきだろう。政治に求められるのは、それを行うにあたってのリーダーシップだ。