このまま放射能汚染が続くと、米作地帯の会津のうるわしき山河も、暗い闇に没することになる。会津にとって最悪の事態だ。江藤淳が富岡幸一郎のインタビューに対して、昔の長老のすごさを語ったことがあった。「老人は生理的には昔も今も同じなんだろうと思うけれども、長老が長老らしくしている嗜みを忘れずにいた。本当は絶望していて、いつお迎えが来るかということばっかり考えて、いらいらしていたのかも知れないけれど、それをこれっぱかりも顔に見せないようにしているものだという、そういう嗜みと様式とがあった」(『言葉と沈黙』)。胸にずっしりと重い言葉ではないか。長老という存在は、今の時代では及びもつかないほど貫禄に満ちていた。長老が長老であるためには、会津という土地柄で培われた顔の皺や白髪が物を言った。そして、長老としての様式を演じられたのは、大地への信頼があったからだ。それが根本から崩壊し、作物を口にするのもためらわれるようでは、もうおしまいだ。今以上に高齢者の出る幕はなくなり、邪魔者扱いをされるだけだ。福島第一原発の事故によって、昔の会津には戻れないのであり、米作りができなければ、大地の恵みがなければ、福島市や郡山市と同じように、人々はどんどん会津を離れることになるだろう。
「白地に赤く日の丸染めて、ああ美しや、日本の旗は」(作詞高野辰之)という文部省唱歌があるが、かつてない危機の直面していることもあって、日の丸を掲げたデモや集会が目白押しである。韓国に媚を売るフジテレビ批判デモ、針谷大輔氏が呼びかけ人代表となった「7.31 右から考える脱原発集会&デモin東京」、頑張れ日本が主催した「8.6菅内閣打倒!国民行動in渋谷」、恒例の在特会を中心とする行動する保守のデモといったように、これまで考えられなかったような盛り上がりである。それぞれのグループによって主張が異なっているとはいえ、日の丸を押し立てて街頭に繰り出すことで、日本に新たな政治的潮流が生まれつつあるのだ。民主党政権による日本解体は目にあまるものがある。それだけに、日の丸がひるがえると、凛とした気持ちになり、日本人としての団結心がわいてくる。とくに私は、針谷大輔氏や鈴木邦男氏らが立ち上がったデモにシンパシーを感じた。脱原発というスローガンは、サヨクの専売特許ではないからだ。「福島の子供たちを救い出し、麗しき山河を守れ!」とのシュプレヒコールは、イデオロギー以前の人間としての叫びではないだろうか。日本の旗は美しいのであり、それを押し立てて祖国日本を守るのが真の愛国者なのである。