草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

小沢と鳩山の復権に手を貸す民主党代表選候補者を嗤う

2011年08月20日 | 政局

 民主党はもう救いようがない。代表選の立候補予定者が、政界を引退すべき小沢一郎や鳩山由紀夫の二人に、ペコペコ頭を下げに行くのは、あまりにも不謹慎ではなかろうか。そんなことをしてまで、代表の座を射止めたいのだろうか。恥ずかしいにもほどがある。小沢も鳩山も、もともとは自民党にいた政治家である。とくに小沢は幹事長も経験している。竹下登の後継をめぐる闘争に敗れて、離党したのではなかったか。クリーンを旗印にするのだけは、もう止めてもらいたい。なかには小沢の支持を得たいがために、臆面もなく党員資格停止処分の見直しを主張する馬淵澄夫前国土交通相、小沢鋭仁元環境相のような人間も出ている。そこまでどうして媚を売る必要があるのだろう。さらに、野田佳彦財務相と鹿野道彦農相は鳩山詣でをして、支援を要請したのだという。いくら衆議院で多数を占めているとはいえ、世論調査では自民党の後塵を排しているのに、危機感はまったく感じていないのだろう。8月25日号の週刊文春ではないが、頭文字を並べてみると「また馬鹿のかお」になるのだから、国民は期待するわけがない。能力もないのに、次々と手を挙げてトップの座を目指すというのは、私利私欲がはびこる民主党らしい。

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危機に瀕している今こそ日本国の再建を目指すべきだ!

2011年08月20日 | 思想家

 日本の国家解体は今始まったことではない。昭和20年8月15日の敗戦を境にして、この国は根本から否定されたのである。戦後66年経っても、日本は独立国家にはほど遠い。江藤淳が指摘したように、歌を忘れたカナリヤと同じように、自らの物語を語ることをやめたのである。占領軍であった米国の言論統制に服し、歪められた言語空間を受け入れたのだった。江藤が「いかなる民族も、滅亡し解体してしまった場合をのぞいて、他の民族の物語を自らの物語に替えようとはしなかった」(『落ち葉の掃き寄せー敗戦・占領・検閲と文学』)と嘆こうとも、悲しいかなそれが現実であった。大東亜戦争が太平洋戦争に置き換えられ、アジア解放の戦いが、侵略戦争と断罪された。日本が国家たりえなかったことの付けが、今回の原発事故ではなかったか。福島第一原発が米国のお古であったことで、地震や津波対策が施されていなかったために、より事態が深刻化した。日本が危機に瀕している今だからこそ、米国の巧妙な検閲によってつくりあげられた言語空間を打破すべきだろう。失われた日本人自身の物語を回復するためにも、靖国神社に参拝して、英霊の前に額ずくべきなのである。それによってのみ、日本人は日本人たりうるわけだから。

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