たった今、八戸市から帰ってきた。昨日宿泊した本八戸駅近くのホテルを出発したのが、午前8時過ぎであった。昨日は八戸名物の屋台村を覗いたりもしたが、そこでじっくり飲む時間はなかったので、うわべだけの観察にとどまった。しかし、会津への帰り道は、感動の連続であった。八戸インターから八戸道に乗って、安代ジャンクションから東北道を利用するというのは、昨日来た道を戻るだけであったが、晴天のにめぐまれたせいもあり、右側に望める岩手山は、裾野がどこまでも広がり、どっしりとした存在感で迫ってきた。それは東北の力を象徴しているかのようであった。同じ道の往復ではあまりにも芸がないので、北上ジャンクションから秋田道にハンドルを切った。東北内陸部の盆地を結ぶ一本の道を車で走ってみたかったからだ。横手盆地、湯沢盆地、新庄盆地、山形盆地、米沢盆地、会津盆地と続いたが、アクセスが整備されていないだけで、まだまだ人が住める余地があるように思えた。暮れなずむ空にくっきりと浮かび上がった蔵王や吾妻の山々も、無性に愛着を感じてならなかった。もはや太平洋岸や国道4号線沿いにこだわるべきではない。そうした一本の道は、古代からの道であり、危機的状況のときには、東北内陸部の盆地へと避難する道だったのではないか。それだけに、東北人であることにこだわりたい私としては、放射性物質によって汚染された地域から去るにしても、できればそこをベースキャンプにして欲しいのである。
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