戦後の日本は、あまりにもサヨクに媚びてきた。政権を担当してきた自民党にしても、党の綱領には憲法改正を書いておきながら、その努力を怠ってきた。政策的にも社会民主主義の色彩が強かった。道義国家の実現ということよりも、経済成長のみを優先させて、安全保障に関しては、憲法9条を守ろうとする勢力と妥協を重ねてきた。今の民主党政権は、そうした自民党政権の立場を踏襲しているだけである。ネットを通じて、新たな保守派が登場したのだから、従来の保守派を乗り越えようとするのは、当然の成り行きである。小林よしのりあたりが、社会的な落伍者と決め付けているが、失う者がない者たちであれば、かえってエネルギーを秘めているのではないか。勝ち組を自任する小林には、そこまで理解する能力はないのだろう。日本のサヨクがダメなのは、虚無に面したことがないからであり、そこを突き抜けるエネルギーがなかったからだ。大江健三郎は、本人が意図したかどうかは別にして、『セブンティーン』において、左右を超えた、怒れるテロリスト少年の内部世界を赤裸々に描いた。小林のように勝ち誇ったような言い方をして、それですむと思ったら間違いである。新たな保守派は、もっとラディカルな刃を、今の日本に突きつけているのだから。
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