日本国憲法を擁護しているサヨクは、書かれている文面にこだわっているだけだ。私は成文法など必要ないと思っている。日本人の伝統や文化に立脚した倫理観があれば、そこまでしなくてもよいのである。国歌や国旗を尊重するなどというのも、触れなくてすめば、その方がよいのである。しかし、現憲法の縛りから解放されるためには、自主憲法を制定する以外に手はない。法学一辺倒は戦後から始まったのではなく、明治以後の法学教育に欠陥があった。法律のみの国家試験に重きが置かれ、一般教養がなおざりにされてしまったからだ。明治維新を成し遂げた者たちは、法律には精通していなくても、人間的な教養を身に付けていた。この点については高山岩男も「明治維新を立派に成し遂げた武士達を少青年期に叩き上げた教養ー文字通りのBildungは経学・史学・文学の三位一体であるが、明治以後の政治家・行政官・司法官を要請する大学は法学中心の大学で、その法学と称するものからは経学(即ち哲学)も史学も文学も平然と追放された」(『日本民族の心』)と嘆いていた。サヨクの思想が通用しなくなったにもかかわらず、かろうじて法曹界で命脈を保っているのは、法の解釈技術のレベルにとどまっているからだ。根本となるべき日本の国柄というものが抜け落ちている。法律を悪用して日本解体を進めようとするサヨク。彼らが今の時代の「法匪」なのである。
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