草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

親知らず市振にて 5首

2013年06月28日 | 短歌

市振の中野重治親しらずさびしき声の波砕け散る

人買いにさらわれし母子かなしけリ山は絶壁荒々しき波

芭蕉の句遊女と萩と月なりし市振という地名なつかし

バスに揺れ京に向かいし旅路なり若狭の地より都めきたリ

会津より山越え海を見しときに朗らかなりし我にしあらん


 

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会津と同じように日本は汚名をそそぐべきだ!

2013年06月28日 | 思想家

 大東亜戦争も会津戦争も避けることができなかったのであり、そこで戦ったからこそ、後の世に語り伝えられるのである。徳富蘇峰はそのことを人一倍理解していた。近世日本国民史の『会津籠城編』の冒頭において蘇峰は「会津は決して勝算あって籠城したものではなかった。単だ西来の勢力が刻々に来り迫って、籠城するの余儀無きに到ったのだ」と書いている。「襲来西海万千兵 笑聴四辺金鼓鳴 東奥男児腸鉄石 唯知有死不知生」の漢詩が生まれたのは、追いつめられていたからだ。勝敗を別にして意地を貫こうとしたのである。それを蘇峰は高く評価した。さりとて会津を裏切ることになった薩摩を責めはしない。長州との密約を結び、会津を置き去りにしたとしても、それでもって薩摩を断罪はしないし、会津の政治的無能も嘲笑しないのである。「我等は必ずしも薩人の信なきを咎めず、亦会人の愚直なるを哂わない。要するにお互に各々其の志ざす所を為し、其の行わんとする所を行うた迄だ」と論評したのだった。政治とは権力闘争なのであり、そこで勝ち負けしかないのである。会津のその後の運命は、まさしくそれを象徴している。蘇峰らの尽力もあって、昭和に入って会津の汚名はそそがれた。しかし、日本という国家はどうであろう。自虐史観にどっぷり浸かってはいないだろうか。それではいつになっても、国のために死んだ者たちは浮かばれないのである。

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