批判に対して多弁である必要はない。言うべきときに、ハッキリと物を申せばいいのである。橋下徹大阪市長の言い分はもっともなところがあるが、あまりにも口数が多過ぎて、かばいようがない。もっとじっくりと構えられないのだろうか。会津藩の祖である保科正之公は、その点では違っていた。時間があると静坐して、不動心を失わなかった。幕府の中枢にいたせいもあり、苦労は多かったと思われるが、一度として取り乱すことはなかった。正之公は山崎闇斎の協力を得て寛文年間に『伊洛三子伝心録』を編纂したが、静坐の意義について、朱子の師であった李延平の言葉を紹介している。「李先生が人に教えるのは、『静』の中に、感情として表れる以前の気象である『中』を体認してはっきりとさせることであり、こうあってこそ変転して止まないあれこれの事物に応じて、一つひとつぴったりした『節』にあたることであろう」(田尻祐一郎著『山崎闇斎の世界』)と書いている。めまぐるしく変わる世界において、正論を吐こうとすれば、最終的には心の問題に行き着くのである。橋下市長は国民受けばかり狙っており、そのためのパフォーマンスが目立つ。詭弁を考えるのではなく、一時的に思考を停止して、静坐に励んでみればいいのである。饒舌であることを、今のマスコミは要求する。じっくり考えた上での発言など、求めてはいないのだ。しかし、指導者たる者はそうであってはならない。橋下市長はマスコミに煽てられ、マスコミによって潰されようとしている。口は災いの元なのである。
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