草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

参議院選挙を前に安倍批判を強める反日マスコミを嗤う!

2013年06月14日 | 政局

 トクアノミクスもあってか、安倍政権へのバッシングが目に余る。今朝のニュースで、福島県内の除染についてNHKが噛みついたのには嗤った。一時間あたり何マイクロシーベルトを目指すのか、方針が不明確だと批判したのである。それも各市町村ごとに示すべきだ、といちゃもんをつけたのである。年間1ミリシーベルトを超えないようにするとの努力目標が、民主党政権のときに掲げられたのではなかったか。また日本経済新聞は、株価に関して麻生財務大臣が「もっと上がると思って損をしたというのは、その人たちの感性の問題、その責任までこっちにいわれてもどうにもならない」とコメントしたことを取り上げた。これもまた嫌がらせのレベルである。さらに、どこのテレビでも、復興庁の役人がツイッターで本音を吐いたことに対して、ここぞとばかり攻撃していた。「糞左翼」と書きこんだことが癪にさわったようだ。ネットでまともなことを書くと、すぐに「ネトウヨ」を連呼するマスコミも、自分たちのこととなると別なのだろう。参議院選挙の投票が終わるまで、自民党の足を引っ張るためには、手段を選ばないのが反日マスコミだ。これに対して私たち保守派は結束すべきだ。安倍首相のやり方に不満はあるとしても、昨年12月の衆議院選挙で、政権交代を実現した流れを終わらせてはならない。反日マスコミのいい加減な報道を監視し、どんどん物申すべきだろう。そして、最後の最後まで力を抜くべきではないのである。

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善悪よりも事実にもとづく決断こそが政治の要諦だ!

2013年06月14日 | 思想家

 日本人は戦後民主主義が善であると信じてきた。野蛮人である日本人が、自分の心を改めさえすれば、世界に悪は存在しなくなる。そう思いこんできた。しかし、それはあくまでも理想論でしかなかった。ヴィトゲンシュタインが『反哲学的断章』(丘沢静也訳)で「人びとを善にみちびくことはできない。人びとは、どこかある場所へみちびかれるだけである。善は、事実の空間の外側にある」と書いている。そもそも善というのは、事実から目をそむけるための方便として、これまでも用いられてきた。今後もそれは変わらないのではなかろうか。善悪の判断よりも、政治に求められるのは、事実に立脚した政治的な決断である。どうすれば国民の命を守れるかなのである。ヴィトゲンシュタイン流に言うならば「きみは、嘘を見限るのにやぶさかではないだろう。ということは、ほんとうのことがいえるということだ」との立場から、手垢に汚れた民主主義とか自由とかの概念を、もう一度見直すべきだろう。それは謙虚になって「自分の目の前にある物を見る」ということなのである。あまりにも日本人は、観念の遊戯に弄ばれてきた。政治が落ち着かないのは、全てそのせいではないだろうか。今日本人の目の前にあるのは、厳しい国際環境であり、理想論では対処できない。哲学という夢を語ることを拒否した哲学者の発言は、ずっしりと重たいものがある。日本が生き残るためになすべきは、善や夢を語ることではないのだ。

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