戦後の日本を支配してきた言説は、日本は悪い国だという決めつけであった。フーコーやデリダの翻訳で飯を食っている人間たちも、その言説から抜け出せないようだ。彼らが擁護していた共産主義国家は、もはや拠り所とすることができなくなった。そこで出てきたのが日本人の「戦争犯罪」なのである。高橋鉄哉の『デリダ 脱構築』を読んで、自分を顧みないサヨク特有の人間性に、興味を覚えてならなかった。まえがきでは「私を読んでごらん。君にはそれができるかな?」とのデリダの言葉を持ってきている。「なんの解釈も要らないようなテキスト、分かったつもりでもやはり謎が残って、くりかえし読むことに誘われてしまう、そんなところがまったくないようなテキストは、およそ読むに値するようなテキストとはいえないだろう」と高橋が書いたのも、デリダがそう言っているからだそうだ。しかし、高橋の主張は日本の「戦争犯罪」を糾弾しているだけだ。自分が受けた日教組教育を容認している。お得意の「脱構築」とは無縁なのである。それでデリダの研究者というからややこしい。「謎が残って」いるわけでない。インテリとしての負い目もない。東大教授という制度に守られながら上から目線で語る。ただそれだけの人間ではないか。悔しかったらば田中吉六のように、日雇いをしながら、哲学者になればいいのだ。恵まれた環境で研究する高橋は、戦後レジームの既得権益を守る側であり、それを解体し新たに構築する必然性は、微塵もないのである。
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