日本人は大東亜戦争において東亜の解放をスローガンにした。それは表向きであったとサヨクは批判するが、実際はどうだったのだろう。日本の影響力が及んだインド、ビルマ、インドネシア、ベトナム、フイリピンなどでは、日本が戦争に敗れた後になっても、それらの国の民族から、欧米の帝国主義国家は独立を奪い取ることができなかったのである。葦津珍彦は「日本軍の意識の中には、征服者的なものも秘められてもゐたであらうし、その行動には、専横で圧迫的なものもあつた。しかしそれと同時に、解放者としての使命感と解放者としての行動もあつた。その二つの潮流が相合流してゐた。そこに歴史の真相がある」(『明治維新と東洋の解放』)と書いている。征服者としての側面ばかりが強調されて、もう一つの解放者として日本が果たした役割が、正当に評価されていないのが問題なのである。葦津はインドのネール首相が戦後の日本を訪問したときに、大川周明を招待し、感謝と敬意を表したことに注目する。大川はインドの独立党党員ビハリ・ボースを保護した。ビハリ・ボースはチャンドラ・ボースとともに、日本軍と共に戦った。このために二人のボースとも、欧米からは侵略者に協力したとのレッテルが貼られた。だが、インドでは独立の英雄であり、それは今でも変わらない。日本が目指した大東亜共栄圏は無謀であったとしても、葦津が指摘するごとく「祖国と東洋の独立と解放を志して、男々しくその生命を捧げた忠列の勇士」がいたのであり、そうした心情を否定することはできないのである。
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