最近のネットが騒がしくなったのは、特定アジアの工作員のせいだろうが、あまりにも愚劣でてんで話にならない。今日午後2時10分ころ、新宿で男性が焼身自殺を図った事件でも、それをかばうのに必死である。人の見ている前で行なったのには、どことなく違和感を覚える。チベットの僧侶たちはまずガソリンを飲んで、それからガソリンをかぶった。あまりにも中共による圧政がひどいからだ。今回のはどことなく被害妄想である。第一に中共の侵略を想定していない時点で、もはや論じるに値しない。毎日のように朝日新聞を読まされ続ければ、そうした勘違いをする人間も出てくるのだろうが、あまりにも思いこみの世界である。わずかばかりの反対があっても、国民全体の安全を守るためには、集団的自衛権の行使容認は必要なのである。それに反論した文章でも残したのならば、ぜひ読んでみたい。広告会社が安倍政権批判には一役買っているともいわれる。そんな事件が起きると喜ぶのはサヨクと、朝日新聞などのマスコミだ。焼身自殺といえば、昭和44年2月11日に決行した民族派の江藤小三郎のことが、よく引き合いに出される。江藤は「我、神命により不生不滅の生を得む。ここに肉体を放棄し永遠の生命を得む。我『建国の日』に魂魄となりて、民族の危機にあたるものなり」との「覚醒書」を残している。天皇主義者として死んだのである。三島由紀夫はその死について「2月11日の建国記念日に、一人の青年がテレビの前でもなく、観客の前でもなく、暗い工事場の陰で焼身自殺した。そこには、実に厳粛なファクトがあり、責任があつた」(『若きサムラヒのために』)と書いている。今回とは違って人目を避けたのである。同じ焼身自殺をするにしても、そこに民族派とサヨクとの違いがあるのだ。
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