江藤淳が今から20年近く前に書いていた文章を読み返して、ようやくその思いが理解できるようになった。日本には帰るべき世界があり、それを確認することが大切なのである。その当時、菊池寛賞を受賞した安田祥子・由紀さおり姉妹の「赤とんぼ」を聞いて、江藤はある種の感慨にふけったのだった。「私の眼の前には、もうとうの昔になくなってしまった戸山ケ原の風景がひろがった。山ノ手線の線路と中央線の線路に囲まれた広い広い戸山ケ原、その山手線の線路の向こうには三角山という高地があって、そのまた向こうには陸軍の射撃場があった。私の赤とんぼは、あの戸山ケ原を翔んでいたのだ」。『人と心と言葉』に収録された「『帰る』歌」というエッセイである。また、そこでは「その幻の風景に見入っている私は、一体還暦を過ぎた今の私なのか、それともまた小学校にも上がっていないあの頃の私なのか、どっちなのだろうと訝っているいるうちに、姉妹のうちのどちらかの声で、帰ろう、帰ろう、といっているのが聴えた。そうだ、帰らなければならない、その時が来たのだ」とも書いたのだった。日本人の多くがそれに気付き始めている。しかし、それをさせまいとする勢力も存在している。日本人には「帰る場所」があるのであり、とくに危機に直面したりすれば、それは大きな意味を持ってくるのである。戦後民主主義とはそれを否定することであった。「赤とんぼ」を正義を主張しようとするのではない。日本人のなかにある喪失感を表現しているのである。その歌声に素直に耳を傾けなった時から、日本は日本でなくなってしまったのではないか。
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