草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

安倍首相と保守派の攘夷は根本において一体だ!

2014年07月30日 | 祖国日本を救う運動

日本における攘夷の運動が安倍首相の足を引っ張っていると思うのは、とんでもない間違いである。戦後の日本は国家意思を表明することを許されなかった。60年安保騒動や70年安保騒動で学生たちが反米を叫んだのは、根底にナショナリズムがあったためだ。ようやくそれが保守派の手に戻ったのである。中共や韓国、さらには北朝鮮に媚びるのではなく、公然と日本人が国益を主張するようになったのだ。保守派を中心とした攘夷の動きがあったからこそ、安倍政権は誕生したのである。時として攘夷の運動は政治的なバランス感覚を逸したかのように突っ走るかもしれない。しかし、それはある意味では許されるべきなのである。今なおアメリカの従属化にある我国は、国民レベルでのエネルギーの爆発でしか、アメリカなどの大国を動かせないからだ。今のサヨクには理解できないだろうが、70年安保騒動の底流にあったのは、アメリカが譲歩して沖縄を返さなければ、日本で内乱を起こすといった攘夷のパトスであった。これにはアメリカも手こずってしまい、しぶしぶ日本に返還することになったのだった。今の行動する保守を始めとする攘夷は、イデオロギーが変わっただけであり、本質においては大差がない。激しいアジテーションになるのはそのせいだ。日本が国家として復権するまでは、大国と対等に交渉するには、攘夷の力を働かなくてはならない。安倍首相が国益をかけた外交交渉ができるのは、保守派における攘夷が台頭してきているからだ。占領下にあって、アメリカに押し付けられた憲法すら改正できず、国家として当然の権利である集団的自衛権にまで反対する世論がある。そうしたなかで大胆な路線の転換を行なおうとしている安倍政権と、保守派の攘夷は一体であり、戦術的なアプローチでの違いだけなのである。

  

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