昨日の産経新聞の「産経抄」は、レッテル貼りをするパヨクの批判として的を射ている。安倍首相を攻撃するのは自由だが、その根拠を明確にしないまま、誹謗中傷のレベルで云々するのは、思想家や言論人として最悪である。高校生や中学生がラップ調に「アベヤメロ」と騒ぎたてるのと大差がない▼戦後の日本の言論界を振り返っても、サヨクが今ほど劣化した時代はなかった。極左の同伴者とみられていた高橋和己は、三島由紀夫を評価していたし、同じく吉本隆明も、江藤淳を根本において肯定していた。イデオロギー的な立場は違っても、話し合いをする共通の基盤があった。それだけの人材が今のパヨクには見当たらない▼ハンナ・アレントは「共通感覚」を重視した。アレントによれは、それは「言わば自分の判断を人類の集合的理性と比較するために、反省において他のあらゆる人々の表象の仕方を思想のうちで(ア・プリオリ)に顧慮するような判断能力である」(『カント政治哲学講義』・仲正昌樹訳)と書いている▼自分を絶対化するのではなく、異なった考え方をする人たちについても、理解する努力をすることが、争いを未然に防ぐのに役立つのである。プロパガンダの言葉を振りかざすのは、相手の言い分を聞いて反論する余裕がないからだろう。アレントのようなリベラルとはまった異質であり、かえって害をもたらす教条主義者でしかなく、パヨクと呼ばれて当然なのである。
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