国難であればあるほど、日本人は結束すべきである。そうでなければ危機を乗り切ることは難しいからだ。それを邪魔しているのがインテリを自任している者たちである。柳田国男にいわせれば「年々西洋で出る本と雑誌とを読んで、会得するためによほどたくさんの時を使う」(『青年と学問』)ために、日本人としての自らの足元を見直す機会がないのである。コモンセンスのある庶民の方がはるかにまともである▼日本に対して文在寅は次々と理不尽なことをしてくる。普通であれば、国際法などを持ち出して堂々と反論すべきなのに、西洋かぶれの者たちは、日本を悪者にしようとする韓国の片棒を担ぐような発言をする。日本人であることに誇りを持たないからだろう。東京裁判史観に毒されてしまっているのだ▼今こそ私たちは日本の先人の歩みを想起しなくてはならない。柳田は「もし諸君が縁あって祖先の生活の痕(あと)を熟視せられるならば、けっして多数の人がかつて想像したように、散漫乱雑なものでなかったこと、我々の社会組織は本来丈夫なる織物のごとく、今日あるものよりもはるかに精巧であった」(『同』)と書いたのである。それを明らかにするために、柳田は日本民俗学を打ち立てたのだ。日本や日本人を卑下する自虐史観から脱却して、日本人としての誇りを取り戻すべきなのである。
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