ファシズムを取るに足らぬものと決めつけるのは、とんでもない間違いだ。新左翼のイデオローグであった広松渉は『日本の将来』2号に掲載された「全体主義イデオロギーの陥穽」のなかで、「ファシズムは、果たして水準以下的な思想であろうか?近代合理主義や近代デモクラシーに安住している凡百の“思想”よりも、それは却って思想的水準が高いのではないか?そして、現に、人々はそれと知らずして、ファシズムの全体主義思想の核心を、昨今では暗々裡に受け容れてしまっているのではないか」と厳しく戒めたのである▼広松は「ファシズムとは非合理な狂気の支配であり、大衆ヒステリーの一種であり、云々」との見方をしない。イタリアやドイツにおいては、クローチェ、ハイデッガー、カール・シュミットらが支持したのである。広松は大衆運動を組織化した点も重視する。「ファシズムは既成の議会制民主主義を真っ向から批判しつつ、しかも経済機構の再編をめぐって一連の“社会主義的”な要求すら掲げ、政権奪取にいたる過程では〝革命的〟大衆運動を下から組織したのであって、ファシズムの運動はさながら〝新しい〟思想が『大衆をつかむことにおいて物質的な力となった』かの観がある」とまで書いたのである▼ファシズムは戦争に負けたから粉砕されたのであって、敗北しなければ今も存続していた可能性がある。馬鹿にできる相手ではないのである。
応援のクリックをお願いいたします