草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

終戦の日に思い起こすべきは「シーンとした国民の心」だ!

2019年08月15日 | 思想家

8月15日の終戦記念日がまためぐってきた。西尾乾二は『国民の歴史』において、詩人の伊東静雄が残した『日記』を引用している。「十五日陛下の御放送を拝した直後。太陽の光は少しもかはらず、透明に強く田と畑の面と木々とを照し、白い雲は静かに浮び、家々からは炊煙がのぼってゐる。それなのに、戦は敗れたのだ。何の異変もおこらないのが信ぜられない」▼西尾は「日本人が歴史にいわば裸身をさらした短い一時期」があったことに注目するのだ。その日を境にして、日本が大きく変わってしまったからだ。もはや過去に戻るすべはなくなり、それ以降の我が国は転落の歴史であったというのだ。西尾は河上徹太郎の「あのシーンとした国民の心の一瞬」(『戦後の虚實』)という言葉にも言及し、「月の光を背にしながら母が玉蜀黍畑の中に立ちつくしていたあの夜のことだ」と書いたのだった▼あいちトリエンナーレで昭和天皇を冒涜するといった展示が行われた。多くの日本国民が怒り心頭に発したが、それは言葉にならない憤怒の情であった。「天皇危うし」との思いは「日本危うし」である。いかに表向きの世界は移り変わろうとも、変わらぬものが日本にはあり、それを再確認したのではないだろうか。「あのシーンとした国民の心の一瞬」は永遠の日本を思い出すことであった。先人たちのかけがえのない体験を、私たちは今こそ思い起こすべきなのである。

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コメント (1)
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