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地上波テレビの一方的な報道が日本の分断を深刻なものにしている。マス・メディアを頭から信じてしまう人たちが多いからである。手の込んだ映像などを見せられると、ついつい納得してしまうのである。
佐伯啓思は『現代民主主義の病理 戦後日本をどう見るか』で、W・リップマンが『世論』において述べたことを紹介している。「現代デモクラシーの成立条件は、まさに、誰もが実際に知らない『世界』を、切り取り、簡略化し、討論可能のような形に変形する専門家たち、つまりジャーナリスト(それにさまざまなが学者、評論家たち)にかかっていると言ってよい。しかし、まさにそこで我々は困難に直面するのである」
つまり、中立的な客観性を望んでも、それは難しいのである。そこで佐伯が考えた打開策は次の二つである。まず一つは「マス・メディアに対する過剰な期待」を持たないということだ。「マス・メディアに、この複雑な世界をデモクラシーの可能なサイズに縮減する役割を割り当てるのは、もともと無茶なこと」であるからだ。
第二はマス・ジャーナリズムに専門的研究者が物申すということである。自分たちのプロパガンダを連日撒き散らすのがテレビのワイドショーであるが、そこに水を差す人がいなくては、冷静な議論などできるわけがないからだ。
佐伯のその打開策に、さらに付け加えるとすれば、常識の復権ではないかと思う。柳田国男が重きを置く「常民」によって支えられてきたコモンセンスを、もう一度見直すのである。死者を冒涜せず、静かに手を合わせる。死者の眼差しを絶えず意識するのである。あたりまえのことを忘れてしまった民族は、亡国の民になるしかないのだ。騒ぎ立てて我が国を混乱させるようなマス・メディアを絶対視せず、日本人としての拠り所を再確認すべきなのである。