もう一つ東京新聞に関係した文章を取りあげてみたい。西部邁が8月5日付に「米国追従でいいのか」との一文を寄稿しているからだ。西部も、恩師の清水幾太郎のように、核武装による日本の主権の回復を主張しているのである。西部が一時期転向したかのように思われていたが、それを読むとブンド全学連時代から変わらぬ精神が息づいているのを感じた▼アメリカに屈服することで平和を維持してきたのは、西部にとって屈辱なのである。とくに、核の傘に対する信頼が失われた今となっては、核武装しかないと結論付けるのである。しかも、近隣の諸国と同質性がなく、アメリカから自立できない浅ましい現状を考えれば、それしか選択肢はないというのだ。西部の主張は左右のラディカリストの立場と重なり合うのではないだろうか。代々木の官僚のような偽善的二枚舌ではなく、正直に本心を語っている▼ラディカリズムに立脚する者たちは、アメリカと距離を取るためにも、核武装に賛成するしかないのである。そして、核兵器による先制攻撃をしないと憲法に明記することで、人間としての良心を守り抜くのだという。国際政治の現実からして日本一国では守り抜くことは困難だとは思うが、能天気な平和ボケよりは説得力がある。西部の口から核武装という言葉が出てくるほどに、日本は危機なのである。国家の交戦権を奪われた国家は国家ではない。日本を国家たらしめる覚悟が今の日本人にあるかどうかなのである。
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