草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

保守派が理想とするのは金も名もいらぬ常識人だ

2023年09月03日 | 思想家
 保守派という言葉を吟味もせずに使われているが、一体保守派とはなんだろう。リベラルや左翼政党とどこが違うか、考えたことがあるのだろうか。リベラルや左翼政党に異を唱えるだけであれば、それは反動であり、保守派とは呼べない。
 福田恆存は「保守派が進歩や改革を嫌ふのは、あるいはほんの一部分の変更をさえ億劫に思ふのは、その影響や結果に自信がもてないからだ。それに関するかぎり見す見す便利だと思っても、その一部を改めたため、他の部分に、あるいは全体の総計としてどういふ不便を招くかと見とほしがつかないからだ。保守派は見とほしをもってはならない」(『常識に還れ』)と説いた。
 人々を扇動して大騒ぎするような連中は、保守派とはまったく無縁なのである。「常識に随ひ、素手で行って、それで倒れたら」(『同』)それはそのときなのである。
 保守派はイデオロギーというよりも、常識を重んずるのである。できもしないことをへらへら喋り、悦に入っている者たちを軽蔑するのである。人間としての限界、己の能力のなさを痛感しているのだ。だからこそ寡黙なのである。
 目に一丁字ない者たちこそが、お国のために身を挺するのである。俺が俺がという連中は自己顕示欲の権化である。自分の利益のためには、どっちにも転ぶのである。
 保守派がもつとも嫌うのは「サーカス」の政治である。政治が娯楽と化してしまい、真面目さに欠けてしまうことだ。わけの分からない者たちに煽られてはならないのである。衆を頼まず言葉には責任を持つのである。
 西郷隆盛が「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。 この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」と述べているような人が真の保守派なのである。

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