草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

9条信者と民主主義を理解しないサヨクを揶揄した佐伯啓思!

2014年07月21日 | 思想家

久しぶりに産経新聞のネットに掲載された佐伯啓思京都大学教授の「誰が国を守るのか」(【日々の蔭りの中で】)を読んで、日本のサヨクのいい加減さを再確認した。戦後の日本の民主主義と平和主義の問題点を鋭く突いたからだ。何かすると憲法9条を掲げる者たちが、その一方では日米安保条約の存在は無視している。現実にアメリカ軍のプレゼンスがあるから平和は維持されてきたのである。絶対的な平和主義に立脚するのならば、それすらも否定しなくてはならないはずだ。朝日新聞も毎日新聞も、根本においてはそこまでは考えてはいない。欺瞞に満ちた言説を振り回しているのが日本のサヨクなのである。さらに、民主主義とは国民が権力を手にすることであり、それは同時に全人民武装でなくてはならない。自由とか民主主義とかが獲得された権利であり、それを守るためには、命を惜しんではならないのである。それを佐伯は「近代国家は主権によって動かされる。そして、主権者の役割は何よりまず国民の生命財産を守ることとされる。とすれば、もし主権者が君主なら、君主は彼の国民の生命財産を守らなければならない。そして主権者が国民ならば国民が自らの手によって彼ら自身の生命財産を守らなければならない。これが道理というものであろう。とすれば、民主主義では国民皆兵が原則なのである。もちろん、具体的にはさまざまな形がありうる。しかし『理念』としてはそうなる」と明確に述べている。日本のサヨクは民主主義のイロハも理解していないのである。かえって「徴兵制」に反対することが欺瞞なのである。戦後の日本を支配していたのは、本当の意味での左翼の理論ではなかった。死を恐れ、死にたくないとの素朴な感情であった。それを利用することしか考えていないのでは、現実の世の中を変えるイデオロギーにはほど遠いのである。

  

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血液型とサヨクの理論は単なる決めつけでしかない!

2014年07月20日 | 思想家

血液型で人を決めつけてはいけない。そんな調査結果が日本心理学会の機関誌に発表された。日米の1万人へのアンケート結果をもとにしたもので、、九州大の縄田健悟講師の血液型と性格の関連性に科学的根拠はない」とする論文である。人間というのは物事を単純化して考えがちな動物であることは否定できない。それに符合するのが血液型による人間の評価であった。そこに一石を投じたのだから、世間に対してのある種の警告になるだろう。政治だってそれと大差がない。安倍晋三首相イコールタカ派とレッテル貼りをやり徹底的にけなす。そんなことが許されてよいのだろうか。それよりも、具体的な事実を列挙して検証すべきだろう。単純化は思考の停止であり、他人との共通のベースを確認する妨げになる。ベーコンは人間が陥りやすい偏見として、種族のイドラ(人間の感覚など)、洞窟のイドラ(教育や他人からの影響などで培われる)、市場のイドラ(言葉を絶対化する)、劇場のイドラ(思想家たちの誤った学説に支配される)の4つを問題にした。処方箋としてベーコンは、確実な価値を共同作業で踏み固めて行くことを主張したのだった。真理はすぐには手に入らず、それを探求することにおいて、徐々に明らかになっていくのである。経験論は人間が生きていく上での智恵であり、一つの結論から導き出そうとする合理主義とは真っ向から対立する。日本のインテリの多くは、血液型に振り回される人たちと大差がない。まさしく観念論でしかないマルクス主義を絶対視し、現実を直視せずに、文献をほじくることだけに専念した。それが結果的に日本における知的な退廃をもたらしたのである。血液型ではないが、本を読んで世界を解釈するのではなく、まずは自分たちが生きている世界があっての理論なのだから。

  

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「外国人に生活保護を支給するのは憲法違反」と最高裁が判断!

2014年07月19日 | 政局

日本という国家は日本国民の者であり、それを根本から支えているのが日本の国柄である。今回の最高裁の「外国人は生活保護法の対象外」とした判断は、至極まっとうだ。これによって国民の暮らしを擁護するといった政治が行われるべきだ。2審の福岡高裁では、永住資格を持つ中共国籍を持つ大分市の女性が起こした裁判では「法的な保護の対象」としていただけに、画期的な内容を含んでいる。しかし、その一方では、そうした判断が出たにもかかわらず、外国人は地方行政の裁量権の範囲内で、保護の対象となっている。今後、大きな議論になることは必至である。いつもならすぐに世論調査を行なうマスコミが、どうしてそれをしないのだろう。日本国民の反発を恐れるからだろう。日本は開かれた国家である。それなりの要件を満たせば国籍を取れる。別な国籍を持っている人間のために、国民の血税を使うのはやめにすべきだ。働く気もないのに日本にやってきて生活保護を受ける。それがまかり通っていいわけがない。特定アジアに媚びる公明党との連立政権では、憲法を順守することは難しいだろう。地方行政の裁量権を縛る法律の制定が急務だ。何も外国人を締め出せというのではない。本来与えられるべきでない生活保護を、日本人に準じて支給しているのが問題なのである。日本が在日に手厚い保護をしたのは、先の戦争への反省があったからだ。中共も韓国も、日本を敵視する姿勢を強めているのだから、敵に塩を送る必要はない。そもそもが外国人なわけだから、保護すべきはそれぞれが属する国なのである。人の良さは日本国民を苦しめるだけだ。

  

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安倍首相が国家意思を表明したことで中共韓国も日本を見直す!

2014年07月18日 | 国際問題

安倍首相のせいで日本が悪い印象を持たれている。そう勝手に決めつけている日本のマスコミは、一体どのように弁解するのだろうか。安倍首相が毅然とした国家意思を表明したことで、かえって日中、日韓関係に進展の兆しが見えてきたからだ。昨日、韓国の韓国の報道陣と会見したが、読売新聞によると、あれほど罵倒していた朝鮮日報の宋煕永主筆は「今回の訪日で、日本の多くの方々が韓日関係を正常化させたいという熱意を持っていることが分かった」と語った。また、中国共産党機関紙・人民日報元評論員の馬立誠氏も昨日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、現在の日中間の緊張について「一時的な困難だ」と述べた。中共や韓国は自らの立場を弁護するために、日本パッシングを行なっているだけであり、日本がそれなりに身構えれば、真摯に対応するしかなくなるのである。一方的に相手の言うことを認めことは、かえって関係改善には結びつかないのだ。日本が国家であることを否定し、国益を主張しなければ、他の国はやるたい放題のことをしてくるのである。自らの国を防衛することに関しても、他人任せであってよいわけがない。韓国のマスコミも、ようやくここにきて冷静になりつつある。中共の幹部も少しは懲りたのではないだろうか。軍事的に脅かせば譲歩してくると思っていたはずであり、予想に反したのではないだろうか。民主党政権であれば、もっともっと混乱したに違いない。日本はやるべきことをやり、言うべきことを口にすればいいのである。外交と安全保障に限るならば、安倍首相は頑張っていると思う。その功績だけは高く評価しなくては。

  

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「ゴキブリ」とか「死ね!」を連発するサヨクこそヘイトスピーチだ!

2014年07月17日 | 政局

保守派の一部にも悪口雑言を吐く者はいるが、どことなく人の良さがある。サヨクのような辛辣な表現にはならない。人間を憎めないのが保守派の特長なのである。これに対して、サヨクは酷すぎる。中野区議を辞職した共産党の金子洋は、ネットで論争になった際に、相手に向かって「おまえ こそ人間の屑だ。死ね!」と暴言を吐いたのだった。また、民主党の参議院議員の有田芳生は、自らに批判的なツイートをするユーザーをゴキブリ扱いにした。いかに自分とは立場が違っても、そこまで言うのは人間性に問題がある。団塊の世代の最後の方に属する身としては、革マルの機関紙「解放」での他派攻撃の異常さを思い出してしまう。革マルは中核を「ウジ虫」と呼び、黒ヘルを「ゴキブリ」と書いていた。「ウジ虫」はせん滅の対象となり、「ゴキブリ」は排除されてあたりまえであった。その延長線上で、サヨクは物を言っているのである。民主主義を口にし、言論の自由を声高に叫ぶ者たちの方が、容赦なく反対派を敵として攻撃するのである。民主主義とは忍耐強い討論と説得によってのみ成立する。自分を絶対視し、それ以外の者たちを認めないのがサヨクなのである。それこそ、サヨクが謳歌していた時代の大学は、今とは違って暴力が横行し殺伐としていた。それを知っている者からすれば、被害者ぶっているのが滑稽でならない。人を人とも思わない内ゲバで100人以上の命が奪われたのである。死にはしなくても、社会復帰できなくなった者たちの数も、千人近いのではないだろうか。その末裔の者たちがいかに正義を主張しようとしても、場違いなのはいうまでもない。「敵は殺せ」を実践したのは、保守派ではなくサヨクであったのだ。それらの連中にとっては「死ね!」と口走るのは、何の抵抗もないのである。

  

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「戦争に参加するのか」と安倍首相に詰め寄る民主党のお花畑を嗤う!

2014年07月16日 | 安全保障

昨日の参議院予算委員会の集団的自衛権の行使に関する質疑で、気になったのは民主党の福山哲郎参議院議員の言い方である。反対の立場からの物言いであったが、「戦争に巻き込まれる」よりも、さらに批判的な言葉として「戦争に参加するのか」と安倍首相に食い下がっていた。そこに流れるのは、戦争は悪であるとの決めつけであり、自らの思考停止を認めたのと同じである。「戦争」は全て悪なのだろうか。平和であればそれだけでいいのだろうか。戦後の日本は「戦争」という言葉を排除してきた。しかし、本当にそれでいいのだろうか。国家国民が自分たちの平和と安全を維持することに無関心であってよいのだろうか。それがかえって不幸な結果を招くのではないだろうか。アメリカ軍のプレゼンスに依存してきたこれまでが、あまりにも異常であったのだ。日本が国家である限り、他国からの攻撃に対しては、反撃する能力を留保するのは当たり前である。しかも、今の世界では一国は守れなくなっている。そこでスイス以外の国は、集団的自衛権に頼っているのだ。同盟国であるアメリカ軍と日本の防衛に関して協力することは、日本国民の利害と一致する。そこに異論を差し挟むのであれば、民主党は日米安保条約にも反対すべきだろう。60年の安保改定とは、アメリカ軍が日本を防衛することを再確認しただけであった。それでは中共の侵略には対処できない。そこで今回の安倍首相の決断となったのである。民主党は神学論争を繰り広げて安倍批判を強めてきているが、党としての統一的な見解はない。党利党略の批判のための政党が国を誤らせるのであり、建設的な提案はそこには一つもないのである。

  

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童謡「赤とんぼ」が教えてくれる日本人の帰る場所!

2014年07月15日 | 思想家

江藤淳が今から20年近く前に書いていた文章を読み返して、ようやくその思いが理解できるようになった。日本には帰るべき世界があり、それを確認することが大切なのである。その当時、菊池寛賞を受賞した安田祥子・由紀さおり姉妹の「赤とんぼ」を聞いて、江藤はある種の感慨にふけったのだった。「私の眼の前には、もうとうの昔になくなってしまった戸山ケ原の風景がひろがった。山ノ手線の線路と中央線の線路に囲まれた広い広い戸山ケ原、その山手線の線路の向こうには三角山という高地があって、そのまた向こうには陸軍の射撃場があった。私の赤とんぼは、あの戸山ケ原を翔んでいたのだ」。『人と心と言葉』に収録された「『帰る』歌」というエッセイである。また、そこでは「その幻の風景に見入っている私は、一体還暦を過ぎた今の私なのか、それともまた小学校にも上がっていないあの頃の私なのか、どっちなのだろうと訝っているいるうちに、姉妹のうちのどちらかの声で、帰ろう、帰ろう、といっているのが聴えた。そうだ、帰らなければならない、その時が来たのだ」とも書いたのだった。日本人の多くがそれに気付き始めている。しかし、それをさせまいとする勢力も存在している。日本人には「帰る場所」があるのであり、とくに危機に直面したりすれば、それは大きな意味を持ってくるのである。戦後民主主義とはそれを否定することであった。「赤とんぼ」を正義を主張しようとするのではない。日本人のなかにある喪失感を表現しているのである。その歌声に素直に耳を傾けなった時から、日本は日本でなくなってしまったのではないか。

  

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滋賀県知事選の敗北を自民党は深刻に受け止めるべきだ!

2014年07月14日 | 選挙

滋賀県知事選挙での自民党の敗北は深刻である。いくら接戦に持ち込んだとはいえ、そこでは勝たなければならなかった。世論は風向きによってすぐに変わる。ここで態勢を立て直さなければ、元来た道に逆戻りしかねない。ネットでも風向きが変わってきている。安倍晋三首相を攻撃する勢力は台頭してきている。特定アジアを支持する連中も必死なのである。これに対して保守派は、以前ほどの勢いがない。安倍首相を支持する人間を安倍信者と決めつけ、揶揄する見方もある。安倍首相の功績は大なるものがあるのに、反動として様々な動きが出てきているのである。そのほとんどはありもしないデマの類である。それでも国民のかなりの部分が影響を受けつつある。全とを味方につけるのは難しいとしても、保守派の結束は強化しなくてはならない。民主党が応援する候補が当選するなどということが、断じてあってはならないのである。それは来年の統一地方道挙にも大きな影を落とすことになる。自民党の地方組織とて盤石ではない。中心母体であった農協や建設関係も組織はズタズタである。ここは主義主張でまとまるしかない。救心力は国を愛する心なのである。利権をばらまく政治は過去のものであり、もはや正攻法でいくしかないからだ。

  

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日本の政治報道は台風8号で大騒ぎしたレベルだ!

2014年07月13日 | マスコミ評

台風8号は過去最大級と大騒ぎした割には、あっけない幕切れであった。東シナ海の水温が低かったがために、勢力を保つことができなかったのである。マスコミが取り上げるのは、いつもそんなものなのである。日本が軍国主義になるとか言っていたのは、もう40年以上前からなのである。それでいて、実際には日本は平和を謳歌してきたわけだから、苦労症にもほどがある。過ぎ去ってしまえば、騒いだことなどなかったかのような空気である。どことなく違和感を覚えてならない。特定秘密保護法が成立して、取材もままならなくなる。そんなことを書いていたマスコミは、本当に影響が出ているのだろうか。逮捕された記者がいるのだろうか。教えてもらいたいものだ。一方的に決めつけて、反日のプロパガンダを垂れ流す。それが通用するのは日本だからである。他の国では考えられないことだ。台風8号が沖縄に接近する前から、海水温の温度は分かっていたはずなのに、それを伝える報道はまったくなされなかった。日本列島が吹っ飛びような感じであった。水を差すようなことを口にするのは、かなり勇気がいることなのだろう。懲りもせずに、集団的自衛権の行使容認に関しては、朝日新聞などがキャンペーンをはっている。論調はどんどん一人歩きして、「徴兵制が導入される」「日本は戦争ができる国になる」とかのデマがまかり通っている。言いたい放題なのである。しかしながら、日本の国民はバランス感覚が優れており、いかにミスリードされても、大局的判断で間違うことはない。日米同盟の重要性を認識しているからだ。法的な整備もされていない自衛隊に、多くの制約があるのはよく知られている。台風の報道のようないい加減さは、前々から国民から見破るられているのである。

  

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「クローズアップ現代」は国民から批判殺到のいわくつきの番組だ!

2014年07月12日 | マスコミ評

週刊誌が面白いのは、新聞が書かないことを平気で話題にすることだ。しかし、時には失態を演じて世間の物笑いにもなる。週刊フライディーが「安倍官邸がNHKを土下座させた」という記事には、腹を抱えてしまった。NHKの「クローズアップ現代」が、安倍首相の逆鱗に触れたというのだ。これを書いた記者はよほどおめでたいらしい。安倍首相ならずとも、良識ある国民からは批判殺到のいわくつきの番組であり、国谷裕子キャスターの発言は、以前から問題視されていた。朝日、岩波、NHKとくれば、進歩はぶって国民をミスリードしてきた御三家である。NHKについては、最近になって国民の声が届くようになってきた。中共に平気で尖閣のビデオを提供していたり、特定アジアに与していた報道姿勢が取り沙汰されるようになってきたからだ。安倍首相が土下座させなくても、国民がNHKを裁こうとしているのである。下手なマスコミは安倍首相を槍玉に挙げるのに、独裁者に仕立てようとしている。その挙げ句がその記事なのである。いちいちくだらない番組に目くじらを立てるのも大人気ないが、「クローズアップ現代」の報道姿勢は日本を悪者にすることで一貫しており、自虐史観の典型なのである。時の権力者が言論を統制するというのは、安倍首相を云々するよりも、中共の方を取り上げるべきだろう。それを容認しているようでは、まさしく中共あたりの工作員ではないか。下司な根性が見え見えなのである。特定秘密保護法案から始まって最近の徴兵制の危機感を煽るのまで、何が何でも安倍首相にダメージを与えたいようだ。あまりにも浅はかな議論であり、国民の一部しか付いていかないだろう。朝日あたりまでもが週刊フライディーと同レベルであるのは、サヨク言論の衰退を象徴している。時代は変わりつつあるし、変えなくてはならないのである。

  

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