草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

崩壊寸前の中共の悪あがきアジアインフラ投資銀行!

2015年04月21日 | 経済

背に腹はかえられなくなっているのが、今の中共の指導部ではないか。中共のヘゲモニーによるアジアインフラ投資銀行にしても、日本やアメリカが参加しなければ、信用が生まれずに国際社会からそっぽを向かれる。くそみそに我が国を批判しておきながら、ここにきて中共の言い方が変わってきている。安倍首相は20日夜のBSフジに出演して、すでに参加を決めた国々も含めて、アジアインフラ投資銀行に、公平性や透明性を求めていくとしている。日本が国際社会から取り残されたかのように騒ぐのは、中共のご機嫌取りの議論でしかない。中共は表向きは共産主義でありながら、実際は暴走する資本主義である。民主主義的なシステムが構築されないまま、国を大きくするために、無理を承知でアクセルを踏みっぱなしにしてきた。経済格差は拡大し、「裕福層」という言葉まで生まれた。公害は最悪となっており、首都北京はスモッグでおおわれている。軍隊もコントロールできず、独裁体制が崩壊寸前なのである。そこで日本やアメリカに参加を促し、助けを求めてきているのである。アジア全体を現在の中共にしようとする目論見に対して、日本が疑義を持つのは当然であり、マスコミが安倍首相をこきおろすのは見当違いなのである。中共が日本敵視の政策を改め、尖閣諸島への軍事的な恫喝を止めるならば、日本としても検討の余地はあるだろうが、よほどのことがなければ、安倍首相も参加を決断することはないだろう。金をドブに捨てるようなものだからだ。

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アメリカが日本を恐れるのは原爆を投下した負い目があるからだ!

2015年04月20日 | 国際問題

アメリカはアングロサクソン特有の理不尽さで、日本を痛めつけてはならない。いかに人の良い日本であっても、自主独立の方に舵を切らざるを得なくなる。アメリカがアジアから後退し、中共の発言力が増していくなかで、日本は難しい選択を迫られているのである。日本人の多くは、アメリカとの同盟関係を解消しようとは思っていない。米軍基地が国内にあることを容認しているのも、集団的自衛権の行使容認に踏み切るのも、アメリカとの関係を第一に考えてきたからである。しかし、アメリカでは民主党政権が続いており、日本よりも中共を選ぶかのような言動が目につく。もう十数年前になるだろうか、ブレジンスキーが「ユーラシアの地政学」という論文を発表したことがあった。東アジアでアメリカに対抗する国家が出現しないように、中共と戦略的パートナーシップを組むというのが、堂々と書かれていた。まるで日本が仮想敵国であるかのような書き方であった。口では人権とか言論の自由とかを問題視しながら、少数民族を殺戮し、反対派の存在を認めない中共に、どうしてアメリカは接近するのだろうか。自分たちが広島と長崎に原爆を投下したことと無縁ではないだろう。いつの日か日本に報復されるとの恐れを、アメリカは今も抱いているのではないだろうか。そうであれば一言アメリカが日本に謝罪すればいいのである。それこそ日本とアメリカは価値観を共有しており、過去のこだわりを解消することで、同盟関係がさらに一層強固になるわけだから。  

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安倍首相は覚悟を決めて国民を説得すべきだ!

2015年04月19日 | 政局

現在の日本はアメリカ頼みである。安全保障の面で、日本は未だに自立していないからだ。TPPの交渉にしても、アメリカの要求をある程度は呑まざるを得ない。日本に悪い結果が出るとしても、マイナスをどれだけ減らすかに全力を傾けるしかない。中共や韓国は日本を敵視することで、国をまとめようとしている。次々と難題を突き付けてくる。このままでは日本は四面楚歌になってしまう。どうすればよいか、日本国民も混乱しているのではないだろうか。安倍首相はよくやっている。大ホームランをかっ飛ばすのは、誰がやっても無理なのである。マイナスを出来るだけ少なくし、チャンスを待つしかない。韓国は日本を敵視したことで、かえって政治が不安定になった。無理をして、日本が土下座してまで関係改善を行わなくても、向こうから手を差し出すのである。焦ってはならないのである。国内的にはいかなることが起きても対応できるように、防衛力を整備しなくてはならない。そこに向かって一歩ずつ前進するのである。そうした難しい局面に立たされているのである。冷静な議論が行われず、罵倒し合うようでは日本の未来はない。ベストではなく、よりベターな選択をする以外にない。覚悟を決めて、安倍首相が国民を説得できるかどうかなのである。「現実の世の中がー自分の立場からみて、どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間」(マックス・ウェーバー『職業としての政治』脇圭平訳)であるかどうかが、今こそ試されるのである。

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デマゴーグに踊らされない冷静な判断とヴィトゲンシュタイン!

2015年04月18日 | 思想家

饒舌に語るべきではないのである。コメンテーターがテレビで、まことしやかに喋るのは考えなしであるからだ。一つの意見を言うにも、ためらいがなければならない。通り一遍の対応ですまそうとするのは、マスコミが低俗であるからだ。結論を急ぎ過ぎるのも問題である。勧善懲悪で裁くのも、あまりにも単純である。NHKやテレビ朝日などの報道が批判の対象になるのは、その点を考慮していないからだろう。ヴィトゲンシュタインは『哲学的断章』(丘沢静也)で、表現することや書くということにおいて、謙虚さが大事であるのを説いていた。「わたしは、自分が表現したいことを、表現するとき、いつも、せいぜい『半分うまくゆくか、ゆかないか』である。いや、じっさいはそんなに多くもない。ことによると、十分の一ほどではないだろうか。にもかかわらず、なにがしかのことを言おうとしてはいるのだ。わたしの場合、書くと言うことは、しばしば『どもる』ということにすぎない」。いつも文章を書き飛ばしていながらも、偉大な思想家の言葉を絶えず意識しなくては、どんな物書きでも過ちを犯してしまうのである。さらに、ヴィトゲンシュタインの「わたしの目のまえにあるものを見るというのは、わたしにはなんとむずかしいことだろう」の戒めは、深く心に響くものがある。夢物語のドグマや思い込みで物事を判断してはならないのである。マスコミのセンセーショナリズムは、ようやく化けの皮がはがれてきた。言論は自由であるべきであり、それを容認するのが民主主義社会である。しかし、同時にそれはデマゴーグを生みだす風土ともなる。用心するに越したことはないのである。自分自身を欺かないためにも。

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不始末続きなのに反権力のポーズに固執するマスコミを嗤う!

2015年04月17日 | マスコミ評

マスコミに自浄作用がないから、国民が怒っているのではないか。それを政党が代弁しても何の問題があるのだろう。政権党の自民党がテレビ朝日やNHKから事情を聞くのが、どうして言論弾圧にあたるのだろう。ニュースステーションで電波をハイジャックされ、元経産省の役人に言いたい放題のことを喋られ、メンツが丸つぶれだったのは誰だったのだろう。やらせ報道が相次いでいるNHKは、ネットでは連日批判にさらされている。にもかかわらず、今夜の民放テレビのニュースだと、自分たちの不手際を棚に上げて、まっとうな報道をしているかのような口ぶりである。マスコミが特定の国や、特定の勢力に頭が上がらないのは事実である。それは政権与党の力よりも強大である。一つ例を上げよう。朝日新聞は一度でも、憲法改正について賛成と反対の両方の意見を紹介したことがあるか。直に朝日新聞の幹部の話を聞くと、憲法を神聖化し、タブーにしているではないか。ビクついているではないか。自分たちの意向に反する投稿文を拒否続けてきたではないか。戦後の言論空間の既得権益に固執してきたのは、日本のマスコミであり、その頂点に立ってきたのが朝日新聞とNHKであった。もう日本の多くの国民は、そんなマスコミを信用しなくなってきている。ネットであらゆる情報を集められるからだ。時代は変わりつつある。マスコミが反権力のポーズにこだわればこだわるほど、国民から信用を失うだろう。そんなことより実際の記事で勝負すればいいのである。それができないくせに、御託を並べてばかりいるのが、今の日本のマスコミなのである。

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国民の総意を天皇意思として表明するのが統治の大権だ!

2015年04月17日 | 思想家

個々の人間において、それまで歩んできた過去を離れて現在がないように、国家においても歴史とか伝統とかが重要な意味をおびている。天皇主権から国民主権とかいった議論がまかり通ってきたのが、戦後の我が国の悲劇であった。それは日本の国体を無視したものであり、断じて容認することはできない。天皇における統治の大権とはいかなるものであるか。それを分かりやすく語ってくれたのが葦津珍彦であった。アカデミズムの意見ではなく、神社本庁とは関係があっても、在野の一思想家であったのは注目される。葦津は統治の大権について、噛んで含めるように述べている。「民族の最高の良心・民族の理想・民族の意志が、天皇の御名によって表明されるということは、日本民族の古くからの信条であった。天皇は、民族の最高の仁義、最高の英知の源泉であると信ぜられている。天皇は民族の良心を表現されねばならないのだから、臣下の全知全能を集め、英知を結集して、その結論を天皇意思として公的に決定なさるのである。ほしいままに独りで考えて、独りでお決めになることはない。この天皇統治の基本的な態度は、古代の詔勅から近代、現代にいたるまで終始して易らない」(「国体問答より」『不二』に掲載)。日本人のエートスを体現されているのが天皇陛下であった。その御意思として日本人は、まとまった国をつくり、幾多の困難を乗り越えて来たのである。分裂は国家の滅亡でしかなく、それは民を犠牲にすることにほかならない。現憲法下であってもその原則は崩れていないが、より明確にする意味での改正が必要なのである。

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王道主義に立脚しない中共と日本は組むべきではない!

2015年04月16日 | 思想家

中共指導のアジアインフラ投資銀行になぜ参加すべきではないか。それは簡単である。中国共産党が支配する国家は、民衆の人権と自由を抑圧し、経済と軍事を拡大するのに躍起になっているからだ。そんな国とどうして手を組む必要があるだろう。共産主義の名のもとに、民衆から土地を取り上げ、公害をたれ流すような工場をつくるような独裁政治を、わざわざ盛りたてるだけではないか。アジアの民衆との連帯は、日本の民族派にとっての理想であり、その上に世界の平和が築かれるべきである。しかし、中共は自分たちの独裁政治を維持するために、世界に向かって自分の立場を強固にしようとしている。アジアインフラ投資銀行を設立することで、覇権国家として目指しているのである。今の中共の指導部に期待するのは無理だろうが、日本と支那の民衆が心を一つにするには、かつて石原莞爾の東亜連盟が掲げたスローガンに学ぶベきだろう。東亜連盟協会編の『昭和維新論』では「日本は断じて領土的野心を持つべきではなく、独立せる諸国家の連盟加入も一にその自発的意志によるべきである。東亜連盟の指導原理は王道主義であり、東亜諸国の道義的団結である、その結成に当たっても、力をもって強制すべきでなく、東亜各国が真に心より協同し得るごとく、強国日本は自ら抑制し、内省し、謙虚でなければならぬ」と述べている。文面のなかの日本を中共に、東亜連盟をアジアインフラ投資銀行に置き換えればいい。中共にその志なければ、日本は断じて参加すべきではないのである。

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産経の前ソウル支局長の帰国は安倍外交の勝利だ!

2015年04月15日 | マスコミ評

言論の自由を守ることは、全てのことに優先されなくてはならない。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長に対する出国禁止が解除され、昨日午後7時20分、羽田空港に到着した。8ケ月間にわたる不自由な生活に、ようやく終止符が打たれた。韓国の朴大統領に関する記事を、それも韓国のマスコミの報道を伝えただけである。反日の国民のムードに便乗して、加藤前支局長に嫌がらせをしたのである。以前の我が国であれば、対抗処置を取ることは難しかった。しかし、今の日本は違う。韓国とは価値観を共有するとの認識を、安倍内閣は公式に改めたからである。そうした毅然とした意思表示をすることで、日本は国際社会に向かって、韓国の理不尽さを訴えたのである。まさしく、安倍外交の勝利なのである。いかなる国家であろうとも、自由に物が言えなくてはならない。どんな言論であっても、発表する機会を奪ってはならないのである。「無限のコミュニケーション」はヤスパースの全ての著作に出てくる述語であることを、ハンナ・アレントは『暗い時代の人々』(阿部斉訳)の「ヤスパース」において指摘した。ヤスパースの哲学の核心は「コミュニケーションを助けるものであろうか、それともそれを妨げるものであろうか」の一点であることを、アレントは見抜いていた。人間が個々の存在である限り、互いに理解し合うのはコミニュケーションによってであり、それを阻害するような要因を取り除くことが、民主主義社会ではもっとも重要なのである。

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危機の時代にはインテリは無力であり国を救うのは無智蒙昧な大衆だ!

2015年04月14日 | 思想家

まことしやかな言説を述べるインテリが、影響力を行使できなくなっている。保守派のネット言論が勢いを得ていることに、インテリは批判を加えているが、そこで問題にしているのは、中共や韓国へ対して寛容さに欠けるとか、ナショナリズムの暴走とかである。エリック・ホッファーが『魂の錬金術』(中本義彦訳)で述べているように、危機的状況下ではインテリや名立たる評論家の主張よりも、知識も乏しい国民の素朴な考えの方が日本をまともにし、日本を救うのである。無智蒙昧と決め付ける議論の方が間違いなのである。ホッファーはインテリに対して懐疑的である。「現代において未来のことは、子どもや無知な者に訊かねばならない。タルムード[ユダヤ教の聖典]に記されているように、神殿が破壊された後、預言は賢者から奪われて子どもたちに授けられ、愚者が困難な時代の混乱と紛糾を省察するようになった。状況が不安定になると、来るべき状況を予測するうえで、英知や経験はかえって障碍となってしまう」と書いているからだ。どこまでもシニカルな見方をするホッファーは「狂暴さ、子どもじみた軽信性」が世の中を動かし、「戦士の精神」が呼び戻され、大きな力になるというのだ。「新たな始まりは多かれ少なかれ、人間の原初のくり返しとなる」からである。未知の世界に足を踏み入れることに、インテリは戸惑いを隠さないが、知識がない者たちは、大胆不敵に対処するのである。ネット言論の主流である無智蒙昧な大衆が、中共による日本侵略の危機を直感し、自民党を政権の座に復帰させたのである。インテリの意図とは相反していたが、結果的には日本は、安倍首相が二度目の政権を担当したことで、国家として身構えることになった。インテリの出る幕はなかったのである。

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統一地方選惨敗の民主党は保守色を前面に出すべきだ!

2015年04月13日 | 選挙

今回の統一地方選の結果は、民主党の歴史的な大敗北であった。産経新聞だけがそのことを伝えているが、連合の労働組合頼みでは党の存立が危ぶまれるのである。とくに大阪府構想を進める維新の党に対して、大阪では存在感を示すことができず、大阪市議選ではゼロ、大阪府議選では1にとどまった。全国的にみて地方組織が壊滅的な状態で、まさしく解党の危機ではないだろうか。これに対して自民党は、大阪の府議会や市議会では維新の党の後塵を拝しているものの、未だに根強い力を保っている。政策的には集団的自衛権の行使容認で、国民の説得に苦労しているとはいえ、株価が2万円台を超えたことで、国民の支持を集めている。民主党をかつての自民党の宏池会と同じようにしたいのであれば、岡田克也民主党代表が先頭に立って路線を転換し、保守色を強めるべきだろう。民主党がじり貧になった理由は簡単である。できもしないことを並べ立てる小沢一郎や旧社会党に主導権を取られてしまったからだ。政権を獲得したことでかえってボロが出てしまい、国民の顰蹙をかったのである。民主党はもう選挙互助団体であることを止めるべきだ。保守派を中心にして自民党に揺さぶりをかける政党に脱皮すべきだ。安全保障問題などではより現実的な提案をし、憲法改正にも粛々と応じるのである。宏池会はハト派だといわれているが、国を思うからこそ経済を優先させたのであり、保守主義の伝統を踏まえていたことは、前尾繁三郎の著書を読んでも明らかである。民主党の課題は、真に国を愛する政党に脱皮できるかどうかなのである。

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