つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

緒形拳追悼-新国劇の名優たち

2009年05月20日 | 文化
               新国劇の名優たちを語る笠原章さん(右)

城西大学紀尾井町キャンパスで開催されたエクステンション・プログラムに参加した。
テーマは「緒形拳追悼-新国劇の名優たち
朝日新聞論説委員の越村佳代子さんによる進行で、ゲストスピーカーは劇団若獅子代表の笠原章さん。
笠原章さんは、新国劇解散後、中堅メンバーが劇団若獅子を結成。代表の笠原章氏は島田昌吾、辰巳柳太郎に教えを受けた。師の思い出や新国劇名作の上演を語っていた。
進行役の越村さんが新国劇の歴史を上手く解説する。

澤田正二郎が1917年に旗揚げした劇団「新国劇」。
数々の名優、名作を生みだし、中でも「国定忠治」や「一本刀土俵入り」など、男の芝居に大衆の人気が集まった。
1929年に澤田が亡くなって、二人の若手役者、島田正吾と辰巳柳太郎がこの劇団を支えてきた。
戦後の隆盛期を経て、人気が陰ってきたころ、緒形拳は、次代を託せると期待された逸材であった。緒形拳はテレビや映画の出演が相次ぐ中、ついに新国劇を退団。
二人の師との間に深い亀裂が入った。

やがて、和解のときが訪れたが、劇団は1987年に解散。
辰巳柳太郎が亡くなった後、島田正吾は80歳を過ぎてからひとり芝居を始める。
「白野弁十郎」「霧の音」「人生劇場」「司法権」「王将」「沓掛の時次郎」など、新国劇の名作を演じ、98歳で亡くなる。
緒形拳は島田正吾のひとり芝居を継ぐように2006年「白野」を上演して、2008年10月5日71歳の生涯を終えた。
日本の演劇史上、確かな足跡を残した新国劇の盛衰を背景に澤田正二郎、島田正吾、辰巳柳太郎、緒形拳らの名優の軌跡を笠原章さんは分かりやすく語ってくれた。
最後には、笠原章さんが国定忠治、水野善之さんが定八、森田優一さんが巌鉄を演じて赤城天神の森山の場を披露してくれた。
劇団若獅子関係者や河野美和子さん、杉原仙五さんら後援会の方も多数参加していた。
とても勉強になったエクステンションプログラムでした。

(5月20日記)
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