つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

神田囃子保存会

2011年01月06日 | 日記
                         神田囃子保存会により奏でられる

(神田囃子保存会HPから)
江戸の祭り囃子は、葛西に起こったものと言われている。
それでは、いつ頃から『神田囃子』という呼び名が出来たのであろうか。
化政期[一八〇○年頃]に作曲された清元『神田祭』の中に、神田囃子の名が出て来るが、果して、この頃からであろうか。
おそらく、もっとそれ以前からではあるまいか。
それは、江戸で最も大きな祭礼とし て知られた『神田祭』に、山車・屋台などで囃子が演じられるようになった頃までさかのぼるのではあるまいか。

江戸で最も盛んな『神田祭』に ”きほひょく” 粋に囃されたので、神田っ子達に歓迎され、自分達の囃子として『神田囃子』と呼ばれたに違いない。
しかし、その当時の『神田囃子』がどの様なものであったか、今とどの位違ったものであったのかは分からない。
当時の囃子方は、大部分が江戸近郷の葛西地区の人々であった。

彼らは、ほとんどが農民・漁民だったが、徐々に、神田に住む職人たちも習い覚えるようになり、やがてその囃子にも神田特有の気質、土地柄などが影響を与えて、神田特有の祭り囃子、つまり本当の意味の『神田囃子』が生まれ育っていったのではなかろうか。
もっとも、祭り囃子に限らず、大衆芸能とか民俗芸能とか言うものは、大体この様に派生していくのではないか。

こうして神田の地に定着していった『神田囃子』が、主に地元の人に依る囃子となるのも当然の事であった。
それが、はっきりとした形として現れたのは、『神田囃子保存会設立』の時からであった。
大正から昭和にかけての事である。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする