竹早高校出身の演出家・山下光治さん
竹早高校の同級生である大河原敏子(旧姓久保田敏子)さんからの案内で、歓喜の演10周年記念公演「白秋の世界」を観劇した。狂言、群読、合唱の共演が見事に盛り上げていた。会場は、西新井文化ホールで満席の盛況であった。
演出は山下光治さん。演出家であり脚本家、そして役者。演劇講師として狂言・パントマイム・群読の指導を担当している。足立区演劇連盟会長
。劇団アクト・ヤマナル主宰。群読こだまの会、ドラマランド七味とんがらし指導。半世紀近く白秋の詩の世界に入れ込む。歓喜の演では1回目より構成・演出・出演・指導と活躍してきた。
大河原敏子さんのご主人の大河原宏さんが群読の会に参加して、山下光治さんが都立竹早高校の出身を知り、妻である敏子さんも竹早高校であると分かると親交が深まっていった。山下光治さんは、竹早高校の第19期生である。話題の多かった早坂先生のクラスであった。と話していました。
プログラムには次のように綴ってあった。
雨雨降れ降れ母さんが、の「雨フリ」 赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い、の「揺籃のうた」
それらが皆白秋の詩だと知って驚く人は多い。いずれも幼い時に聞き覚えた歌ばかりだから、作詞者なんて誰も気にしないのは当然だが「ぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷらんらんらん」の擬音語に至っては、昨今の異常な集中豪雨はともかく、幸せなかつての日本の雨降りを思うと、無意識に口をついて出て来る、日本語に普遍な古典的な表現だとされても不思議は無い。
終演後、ロビーには出演者と知人たちでごった返していた。
山下光治さんに公演の感想を尋ねてみたら、「出演者が200名もいるととても大変であるが、よくやってくれた。練習はとても苦労したが、終わってみれば感動でいっぱいである」と話していました。
今後の活躍を祈念しております。
日頃、余り縁のない狂言や群読等の活動を知る機会を得て、感動を新たにした。
(1月22日記)
竹早高校の同級生である大河原敏子(旧姓久保田敏子)さんからの案内で、歓喜の演10周年記念公演「白秋の世界」を観劇した。狂言、群読、合唱の共演が見事に盛り上げていた。会場は、西新井文化ホールで満席の盛況であった。
演出は山下光治さん。演出家であり脚本家、そして役者。演劇講師として狂言・パントマイム・群読の指導を担当している。足立区演劇連盟会長
。劇団アクト・ヤマナル主宰。群読こだまの会、ドラマランド七味とんがらし指導。半世紀近く白秋の詩の世界に入れ込む。歓喜の演では1回目より構成・演出・出演・指導と活躍してきた。
大河原敏子さんのご主人の大河原宏さんが群読の会に参加して、山下光治さんが都立竹早高校の出身を知り、妻である敏子さんも竹早高校であると分かると親交が深まっていった。山下光治さんは、竹早高校の第19期生である。話題の多かった早坂先生のクラスであった。と話していました。
プログラムには次のように綴ってあった。
雨雨降れ降れ母さんが、の「雨フリ」 赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い、の「揺籃のうた」
それらが皆白秋の詩だと知って驚く人は多い。いずれも幼い時に聞き覚えた歌ばかりだから、作詞者なんて誰も気にしないのは当然だが「ぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷらんらんらん」の擬音語に至っては、昨今の異常な集中豪雨はともかく、幸せなかつての日本の雨降りを思うと、無意識に口をついて出て来る、日本語に普遍な古典的な表現だとされても不思議は無い。
終演後、ロビーには出演者と知人たちでごった返していた。
山下光治さんに公演の感想を尋ねてみたら、「出演者が200名もいるととても大変であるが、よくやってくれた。練習はとても苦労したが、終わってみれば感動でいっぱいである」と話していました。
今後の活躍を祈念しております。
日頃、余り縁のない狂言や群読等の活動を知る機会を得て、感動を新たにした。
(1月22日記)