坂東玉三郎の特別公演の看板
ル・テアトル銀座の正月公演は、市川海老蔵公演であったが、六本木における暴行事件により出演が出来なくなった。
そして代演を坂東玉三郎へ依頼して興行が出来るようになった。
11月にはル・テアトル銀座の看板は、市川海老蔵であったが、出演が出来なく降板と同時に今度は坂東玉三郎の看板に入れ替わっていた。
坂東玉三郎は、自身のHPで次のようにコメントしている。
『今年は元旦からル・テアトル銀座におきまして私の特別歌舞伎公演が開催される運びとなりました。ル・テアトル銀座は、セゾン劇場の頃から大変御縁の深い劇場でございまして、実は建設時に『この劇場のアドバイスを』とのご依頼いただきました。ロビーを広く、バルコニー席を設けるようにとお話させていただいた覚えがあります。
また、ホテルと隣接していることから宿泊をしてお食事やお芝居をゆっくり楽しめる素晴らし劇場だなと思っておりました。
楽屋と舞台が同じフロアーに無いので階段を上り下りしなければなりませんが、舞台の奥行きが浅くなくなってしまうことを避ける為にこのような構造なっているのでございましょう。小さいながらも良い空間で、私自身も、ル・テアトル銀座で、他の公演や催し物を観させていただくときはBOX席でシックな時間を過ごさせていただいております。
お正月をこの劇場で迎えさせて頂きますのは初めてでございますが、実は初めて一ヶ月間の特別舞踊公演を開催させていただきましたのも、このル・テアトル銀座(当時セゾン劇場)でございました。
今回は久しぶりの「壇ノ浦兜軍記」で「阿古屋」を演じさせていただきます。2幕目には初役で「女伊達」を踊らせていただきます。皆様に、この劇場でお正月気分を味わっていただけるよう、一生懸命努めさせて頂きます。』
坂東玉三郎は、歌舞伎役者の子供として育ったのではなく、修行を積み重ねて現在の名声を得た努力家であると評価されている。
東銀座の歌舞伎座の再建が進行している。ビルを解体した後に見たところ、歌舞伎座はかなりの広い面積であったことが分かった。
新しい歌舞伎座が建設されて、伝統の歌舞伎を観劇してみたいものだ。
(1月10日記)
ル・テアトル銀座の正月公演は、市川海老蔵公演であったが、六本木における暴行事件により出演が出来なくなった。
そして代演を坂東玉三郎へ依頼して興行が出来るようになった。
11月にはル・テアトル銀座の看板は、市川海老蔵であったが、出演が出来なく降板と同時に今度は坂東玉三郎の看板に入れ替わっていた。
坂東玉三郎は、自身のHPで次のようにコメントしている。
『今年は元旦からル・テアトル銀座におきまして私の特別歌舞伎公演が開催される運びとなりました。ル・テアトル銀座は、セゾン劇場の頃から大変御縁の深い劇場でございまして、実は建設時に『この劇場のアドバイスを』とのご依頼いただきました。ロビーを広く、バルコニー席を設けるようにとお話させていただいた覚えがあります。
また、ホテルと隣接していることから宿泊をしてお食事やお芝居をゆっくり楽しめる素晴らし劇場だなと思っておりました。
楽屋と舞台が同じフロアーに無いので階段を上り下りしなければなりませんが、舞台の奥行きが浅くなくなってしまうことを避ける為にこのような構造なっているのでございましょう。小さいながらも良い空間で、私自身も、ル・テアトル銀座で、他の公演や催し物を観させていただくときはBOX席でシックな時間を過ごさせていただいております。
お正月をこの劇場で迎えさせて頂きますのは初めてでございますが、実は初めて一ヶ月間の特別舞踊公演を開催させていただきましたのも、このル・テアトル銀座(当時セゾン劇場)でございました。
今回は久しぶりの「壇ノ浦兜軍記」で「阿古屋」を演じさせていただきます。2幕目には初役で「女伊達」を踊らせていただきます。皆様に、この劇場でお正月気分を味わっていただけるよう、一生懸命努めさせて頂きます。』
坂東玉三郎は、歌舞伎役者の子供として育ったのではなく、修行を積み重ねて現在の名声を得た努力家であると評価されている。
東銀座の歌舞伎座の再建が進行している。ビルを解体した後に見たところ、歌舞伎座はかなりの広い面積であったことが分かった。
新しい歌舞伎座が建設されて、伝統の歌舞伎を観劇してみたいものだ。
(1月10日記)