つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

樋口一葉の旧居跡

2009年05月10日 | 名所
                 樋口一葉の旧居跡の掘り井戸

本郷三丁目の交差点の脇から菊坂通りはゆっくりと下り坂となっている。
途中小さな路地を入ったところに樋口一葉の旧居跡がある。
その路地には、掘り井戸が今も残っている。
この井戸で樋口一葉は茶碗を洗ったり、洗濯をしていたようだ。
今でも周りの住居は人が住んでいる。
この井戸の水は飲み水には適さないので、植木花の水掛けなどに使用している。

この辺りは昔は真砂町と呼ばれていた。
『切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ。……私にゃ死ねと云って下さい。』というと、有名な泉鏡花の「婦系図」(湯島の白梅)のお蔦の言葉です。早瀬は師匠と芸者の間で苦悶のときが続く。
その時に「真砂町の先生が許してくれないのだ」と言う台詞がある。
今なら「本郷4丁目の先生が・・・・」となるところ。
やはり旧住居表示の方が小説になります。

(5月10日記)
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三四郎池

2009年05月09日 | 名所
                      三四郎池

東京大学の構内にひときわ静寂なところが三四郎池である。
“三四郎がじっと池の面を見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまたそこに青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京よりも、日本よりも遠くかつはるかな心持ちがした”夏目漱石「三四郎」より

池の周りは森となっている。
森の中に入っていくと小さな滝がある。これは池の水をくみ上げて循環させている。
池の水は雨水と井戸水でまかなわれている。
三四郎池の地形条件から、もともとは自然に水が湧いていたようだ。

現在の東大本郷キャンパスは、加賀藩主前田利常の江戸藩邸であった。
徳川秀忠・家光両公の訪問に先立って、庭園が整備された。
これが今日の三四郎池の始まりと云われている。

(5月9日記)
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東大赤門

2009年05月08日 | 名所
                      東大赤門

東京大学の赤門は、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、1827年に第13代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られた。
建築様式としては薬医門であり、切妻造となっている。
左右に唐破風造の番所を置いている。
国の重要文化財、旧国宝。
転じて東京大学の俗称となっている。
大学を受験する時に「赤門」を通ることを目標に勉強をした人が多い。
それほど赤門は、東京大学に入る時の象徴の門である。
中央大学では、東大の赤門に対して「白門」と通称は使用している。
白門会は中央大学同窓会の呼称である。

(5月8日記)
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東京大学安田講堂

2009年05月07日 | 名所
                 東京大学のシンボル安田講堂

東京大学の正門を入ると、左右に銀杏並木が並んでいる。
新緑の若葉に覆い茂っている。
その正面に安田講堂がある。
安田財閥の創始者、安田善次郎の匿名を条件での寄付により建設されたが、神奈川県大磯の別邸で右翼に暗殺された安田を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる。

1968年(昭和43年)の東大紛争・東大闘争では、全学共闘会議によって占拠され、最終的には機動隊により強制排除された。
その時のテレビ生中継は、臨場感あふれるものでいまだに記憶に残っている。
上から火炎瓶を投げ落とす全共闘の学生たち、それをくぐりながら押し入れる機動隊員。
安田講堂が城のように見えて、攻防が繰り返される。
これが日本での出来事であるかと凄まじいものを見るようにテレビに釘付けとなっっていた。
その後長期にわたり大講堂は荒廃状態のまま閉鎖されていたが、富士銀行をはじめとする旧安田財閥ゆかりの企業の寄付もあり1988年(昭和63年)~1994年(平成6年)に改修工事が行われ再度供用されている。
1991年より卒業式が再び安田講堂で行われるようになった。

今では、昭和43年の東大紛争の安田講堂の攻防戦があったことは少しも感じさせない。
当時は、まだ生まれていなかった学生たちが、安田講堂に出入りしてキャンパスでの生活を謳歌している。

(5月7日記)

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根津つつじが岡

2009年05月06日 | 名所
                     根津つつじが岡

日本医科大学付属病院を通り抜けると日医大つつじ通りに出る。
向い側が根津神社(根津1丁目)。
根津神社は、宝永3年に千駄木の旧地より今のところに御遷座してから、平成18年でちょうど300年になった。
神社ではこれを記念して、重要文化財の社殿と楼門の漆塗り修理をはじめ順次神域の整備に取り掛かっている。

根津神社の境内につつじが岡がある。
ゴールデンウイークあたりがつつじの花が満開となる。
多くの人出で賑わいを増す。
今年は満開が早いようだった。

(5月7日記)

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森鴎外の観潮楼跡

2009年05月05日 | 名所
                    森鴎外の観潮楼跡

千駄木駅から団子坂を登っていき、左斜めに入ると
森鴎外の観潮楼跡(千駄木1丁目)がある。
高台となっているので、森鴎外の邸宅からは東京湾の海が見えていた。
今は鴎外記念本郷図書館となっているが公開はしていない。
日曜日には、観潮楼跡の庭園のみ公開している。

(5月5日記)
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富士見坂

2009年05月03日 | 名所
                      富士見坂

西日暮里駅から谷根千を散策した。
谷根千とは、谷中・根津・千駄木のことで古き良き街並みが残っているところである。
西日暮里駅の西側は道灌山で公園になっている。
高台から見る東側は遠くまで見通しが良い。
江戸時代は秋の夜長を虫の声を聴きに来た場所で「道灌山の虫聴き」として呼ばれていたところ。

富士見坂(西日暮里3丁目)
関東の富士見100景に選ばれているところで、都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで、現在でも富士山を望むことができる坂である。
きれいに整備されたゆるやかな坂道である。
街灯には富士山を模したデザインが飾ってあった。

(5月3日記)
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2代林家三平襲名披露

2009年05月02日 | 芸能
            2代林家三平襲名披露興行(後幕は読売巨人軍)

池袋演芸場で2代林家三平襲名披露興行を観てきた。
襲名披露口上は、春風亭小朝が進行役。橘家円蔵、鈴々舎馬風、林家木久扇、春風亭一朝、そして兄の林家正蔵から激励の挨拶と観客へのお願いがあった。
四十日に亘る襲名披露の千秋楽に当たるので特別に2代林家三平から挨拶があった。三平の手拭が客席に投げ入れられた。馬風師匠の音頭で3本締めの手締めが観客と共に行われた。

高座の後ろ幕が後援者から贈られて披露されていた。
みのもんた、貴乃花親方、市川団十郎、石原軍団、読売巨人軍、お菓子の二木の6枚が披露された。

紙切りの林家正楽師匠のリクエストは「初代林家三平」であった。
これも見事に客席の拍手が大きくそっくりな紙切りだった。
大トリで2代林家三平の登場。演芸の社会では2代○○として、目は入れない。2代目など目を入れるのは死んだあとと聞いたことがある。
登場すると「待ってました!」の声掛けと万雷の拍手に迎えられた。
初代三平の落語も昔の池袋演芸場(旧ビル4階)で聴いたことがある。
2代三平は初代そっくりに演じている。
何回も父親の映像を見て研究したのだろう。2代が9歳の時に初代は亡くなった。
昭和の爆笑王と呼ばれた初代林家三平のあとを2代三平が追いかけていく。

(5月2日記)
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武蔵一宮氷川神社

2009年05月01日 | 名所
                 武蔵一宮氷川神社(さいたま市)

大宮駅から歩いて15分ほどのところに武蔵一宮氷川神社がある。
今から2400有余年の昔、第五代孝昭天皇の御代3年4月の創立で、聖武天皇の御代各国に一の宮の制を定めた時、武蔵一の宮と称えられた。

氷川神社名の社は大宮を中心に、埼玉県下および東京都下、神奈川県下に及びその数は280数社をかぞえる。
武蔵国造の子孫が大宮の地を本拠として民族的政治的に著しい発展をしたことを物語っているものと考えられます。

氷川神社は大宮公園を控え、広大な聖地として、境内の広さ約3万坪、古杉老松は古えをしのばせ、参道はの長さは中山道の一の鳥居から約2キロメートル、旧国道十六号ぞいの二の鳥居は高さ13メートルで、木造では関東一の高さをほこります。
境内には、楼門あり、舞殿あり、神橋あり、池水満々としています。

(5月1日記)
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