パンドラの箱には一体なにが入っていたのだろう
浦島太郎の玉手箱には止まっていた時間が入っていた
そもそもパンドラの箱って何なんだ? 調べてみたら
なぜいきなりパンドラの箱を思いついたのかと言えば、自分の人生を振り返ったとき(大概は寝起きの時なんだが)煩悩が浮かび上がった
それはおそらくパンドラの箱から逃げ出した多くの煩悩の一つではないかと思ったからだ
誰も彼もが当たり前の顔をして、何もなかったかのような顔をして生きている
それは知らん顔ではなくて、耄碌して忘れただけなのだ
忘れるとは都合の良い言葉だ、耄碌したからとは都合の良い言い訳だ
齢をとるとは、そう言うことに巧みになることなのだ
「年寄りだから」で簡単に片付く場面が多くなった
自動車に黄色いマークをつけておけば「老人だから仕方ない」で大概済んでしまう
耄碌したって煩悩も欲望も消えたわけではない
特に団塊世代の欲望は半端ない
いったい俺はパンドラの箱の中身を幾つ身に着けているのだろうか
指折り数えてみる「いつつ・・・とお・・・」それくらいはありそうだ
今も在るのが怖い 何が怖い 自分の煩悩が怖い
好々爺の顔をしてみても中身は違う ただただ単純に違うのだ
「違うんだ」と叫びたくなる
叫べば、気の触れた老人が一人、そこに居た
浦島太郎の夢だったのに
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