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空想歴史小説 貧乏太閤記32 墨俣功績 秀吉になる

2022年10月12日 18時40分12秒 | 貧乏太閤記
1560年頃の力関係は武田、上杉がライオンであれば、織田はまだ狼程度、家康はヤマネコ程度だっただろう、ゆえに信長が今川義元も首を取ったのは
狼が陸に上がったワニを不意打ちで殺したようなものだ。
いずれにしろ織田信長から今川の脅威が一時的にしろ消えた、しかも今川領との間には同盟した松平家康の三河が防波堤となったから後背の憂いなく美濃の斎藤竜興を攻めることができる。

「天が味方してくれた、熱田の五神さまのご加護があったからだ
儂は今川との勝ち負けは考えずにひたすら駆けた、
あのとき、儂が駆けたのではない、導かれたのじゃ、みちびかれるままに駆けただけだった、そこに義元の首が待っていた」
織田家中が居並ぶ前で信長は思い出すように語った
「さて、邪魔な今川は鳴りを潜めた、あとは徳川家康に任せて、われらは因縁の敵、美濃の斎藤を攻める
竜興は先代義龍と違い凡庸で、今は尾張を攻めるゆとりはなく守りに入っている、今こそ攻めるときじゃ」

チャンスと見た信長は美濃に攻め込んだが、稲葉山城は320mの急峻金華山全体が堅城になっており、本丸天守は小ぶりだが険しい山頂尾根の終点に建っている
さらに長良川が天然の堀となっている
また稲葉山を中心に稲葉、氏家、安藤の西美濃の有力土豪が堅い守りで織田軍を撃退した。
対外的になかなか信長の思い通りに進まないのに、国内では犬山城の織田信清が背いた。
「信清叔父まで背くのか」
3年前、岩倉城の上四郡守護代織田信賢との戦では、信長の姉婿の信清が味方してくれたおかげで勝ったのだが
その後、楽田城など信賢の領地の一部を信清に与えたが、まだ足りぬと不平不満を度々言ってきた、信長も適当にあしらっていたら反乱したのである

信長も手を打った、少しずつ信賢の出城を落城させていき、翌年には楽田城を見下ろす小牧山に城を築くとたちまち楽田城を攻め落とした
もう犬山城は目と鼻の先だ、信賢はそれから数か月持ちこたえたが、多勢の信長に圧倒されてついに城を捨てて逃げて行った
後に武田信玄の家臣になったという、信長の領土は犬山まで伸びたことで美濃攻略戦の東部最前線となった。
信長は小牧山城を拠点に移して、美濃を伺ったが信清の反乱に水を差された感は否めない。

父信秀が死んで18歳で家督を継いで11年、戦に明け暮れた毎日であった、そして特徴的なのは、敵のほとんどが織田姓なのだ。
兄弟、従兄弟、叔父、大叔父、それに系統が違う織田家、それほどまでに織田家は尾張の中に広がっている
信長は長男だが、それは正妻の長男であって、側室には信長より年長の兄もいる、わかっているだけでも男13人、女12人と言われる兄弟姉妹だ。
信長自身も最終的には12男12女を製造したとか。

しかし11年戦争しても領土たるや伊勢湾から犬山までの木曽川の内側、犬山から南下して現在の名古屋第二環状線に沿った外側10kmくらいの範囲しかない
愛知県の約7割5分、それが信長が勝ち取った領土だ。
他国を攻め取ることが富国強兵の手段だった時代、領土拡大は「天下統一」などというお題目とはかけ離れた切実な戦国武将の業だったのだ。

いかにして守り固い美濃を攻め落とすか信長の悩みはここである
まずは拠点の城が必要だ、美濃までは近いようで遠い、負けた時などみじめで追い打ちされて多くが尾張に逃げ帰るまでに討ち取られる
真ん中あたりに城があれば、そこに兵をおける、武器も置ける、敗れてもすぐに退避できるし、新手の増援もしやすい
しかし尾張西部は長良川、揖斐川、木曽川の主流がせめぎ合うように美濃まで続き、それぞれの支流は蜘蛛の巣のように細々と絡み合っている
それは所々に洲を作り、その地の者でなければどこが安全に渡れるかさえもわからない。
信長は、そんな長良川を上った大垣と稲葉山の中間「墨俣」(すのまた)に拠点を築こうとしたが、あまりにも敵地に入りすぎていて材木の搬入さえままならない
骨組みができればたちまち攻め込まれて破壊される、放火されるで柴田勝家さえ失敗したくらいだ
だが粘着質の信長はあきらめない、ついに藤吉郎に白羽の矢が立った
「藤吉郎できるか」内容も知らせないのに「できます」明快に答えた
信長は言い訳も固辞もしない藤吉郎にいつも快感を覚える
まことに気持ち良い、できるかどうかもわからないうちから「できる」と言う
そして必ずやり遂げてしまう、かえって信長の方が危ぶむほどなのだ
(いったい、この小男の頭の中には何が詰まっているのだ、貧しい百姓上がりでまともな学問も受けていない、それが名門の侍より遥かに知恵がある行動力も人脈もある)どう考えても天才信長でもわからない
「よし命じよう、うまく完成した暁には藤吉郎そのほうに、この城をやろう、城持ちになるのだ」
藤吉郎の目が輝いた「へへ~~ 身命を賭してやり遂げまする」
川の中の小さな洲に作る城など砦に毛が生えたようなものだが、それでも信長は城と言った
「城持ちか、このわしが」藤吉郎は悪い気がしない、ワクワクしている。

藤吉郎は小六を訪ねて相談した
結論はこうだ、斎藤家の見張りは常に川下の尾張側に集中している
ゆえに川下から藤吉郎の軍勢が騒ぎ立てて、川下から材木を運び上げるふりをする
斎藤勢が川下に気を取られているうちに、川上の森で蜂須賀党が材木を組み立て川上から墨俣に筏で下る
その間、川下から絶え間なく鉄砲などを斎藤方に撃ちかけて気を引き付ける
墨俣の周りに木々の多いところを選んで城を組み立てるが、さきに柵を周囲に張り巡らして防備を固める、その中で一日で外観を作ってしまえば敵は驚きいったん稲葉山に戻るだろうから、その間に内部を完成させてしまう
というものだ。
翌日小六が男を連れて来た、「木下殿、役に立つ男を紹介しよう、儂の義兄弟でござる」
いかつく鋭い目の男である「前野小右衛門長康と申す」
「実を言えば、桶狭間ですでに儂と共に働いておったのでござるよ
小右衛門は美濃あたりの土豪の出で浪人して岩倉に仕えたりしてのち、織田家の滝川様に仕えていたが気に入らぬらしくまた浪人に戻っていた」
小六が説明した
「小六とは若き時の友でありましたが、たまたま会って退屈しのぎにやってみただけでござる」
「木下殿、使ってみてくださるか」と小六
「小六殿の推薦とあらば間違いあるまい、ぜひとも力をお貸しくだされ」
「よおし、話は決まった、小右衛門の働き見せてやってくれ
墨俣は単純な川ではない、多くの支流が集まる洲のようになっておる、ゆえによほど詳しい者でなければ守り切れぬ、また攻め切れぬ
小右衛門は儂より墨俣近辺には詳しい男だ、木下殿の役に立つであろう」
小六が自信ありげに言った。

日取りを決めてから秀吉は信長に会った
「築城の前日より鉄砲隊50、偽装人夫100をお貸しください、戦は致しませんただ材木運び上げの真似と鉄砲で騒ぎ立てるだけです
足軽は拙者の兵を使いますので不要です」
当日、信長は佐々成政に鉄砲隊100と人夫100をつけて柵を巡らせてゆるゆると材木を運び、敵が見えると鉄砲をぱらぱら撃ちかけた
そのすきに上流から蜂須賀党が佐々隊の3kmほど上流に予定通り、二重の堅固な策を巡らせ、その外側には川から水を引いた簡単な堀も巡らせた
そして目隠しの木を切り倒すと(ほんとうは)外観だけ立派な城ができていた
藤吉郎の予定通り、敵は逃げ帰り報告した
その間により強固な城を見事に完成させたのである

信長は「やはりやりおったか、サルめ大ザルになりおった」
そして墨俣城を約束通り藤吉郎に与え、身分も1500貫を与えて従う武士50人を許された、さらに木下藤吉郎秀吉の名乗りも許された。
この日から木下秀吉と書くことにする。

秀吉は蜂須賀小六正勝、前野長康以下、蜂須賀党30名を家臣にすることを願い出て許された。
蜂須賀、前野は藤吉郎の右腕、左腕となって家来を率いた
この頃、前田利家も信清との戦などで手柄を立てたので2000貫の中堅武士になっていた、秀吉は利家に追いついたのである
もっとも秀吉の出世を一番喜んでくれたのは利家であった、また利家の妻まつと秀吉の妻ねねも姉妹のように仲が良い
互いに行き来してますます友情は深まった。














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