(これはまずい 思惑が外れてしまった、まさか明智が都から逃げてしまうとは予想外だ)
尼崎に着いた秀吉は池田勝入、高山右近、中川瀬兵衛という畿内を代表する大名豪族を集めた
いずれも今風に言えばプライドの高い連中ばかりである、特に中川は面倒な男で敵にしたら何かと厄介だ、ここは下手に出て
「皆々様方には、御足労おかけいたし秀吉まことに心苦しい次第でござる...が
私めは光秀の首を信長様の前に捧げたい一心で、ここまで駆けにかけてようやくたどり着いたのでござる
いかんせんわが兵は15000、明智と同じでござる、これでは百戦錬磨の明智に太刀打ちできませぬ、なにとぞ経験豊かな貴殿らの御助成を賜りたい
これは我らにも貴殿らにも名誉なことでござる、主の仇討ちを果たすは武士の本文でござる、すでに大坂の信孝様とも連絡はついた
われらは兵を合わせて明日にも信孝様に合流して軍議を開き、明智討伐に行く所存でござる、ぜひ合力お願い申す、この通りでござる」
と言うと、途端に秀吉の瞼から涙がポタポタと落ちてきたから三人の武将は驚き心を打たれた
「お任せ下され、われら皆、羽柴様に従い必ずや光秀めの首を叩き落として御覧に入れる」
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「おのれ! 信雄はまだ来ないのか!」京にいる信忠は焦っていた
1万余の兵では明智を追うどころではない
「これでは何もできぬ、信雄のたわけめが! 大坂ではすでに信孝が津田信澄を討ち果たして喝采をあびたとか、
長男のわしは何をしているのかと言われるわ」
そんなおり、越前から金森長近が3000を率いて到着した
「柴田勝家様の命により傘下に加えていただくため馳せ参じました、柴田殿がが申すには
必要とあらば直ちに自ら万余の兵を率いて駆けつけるとのことであります、ぜひお申し付けください」
そこに大和から筒井の兵も2000でやってきたと知らせが入った、これによって信忠の顔に笑みがこぼれた
「上々!大儀である、勝家にはしばし越前にとどまり、いつでも要請に応じられるだけの構えをしておけと伝えよ」
そして翌昼、ようやく織田信雄の軍が到着した、ところがやってきたのは1500ほどであるしかも信雄がいない
「たわけ、おおいに遅れ遠方の柴田、筒井よりも遅いとは何事か! しかもたった1500とはどういう所存か! いらぬ!帰れ!
帰って信雄に伝えよ、同腹の弟(信雄)より異腹の弟(信孝)の方がはるかに頼りになるとな、もはや信雄は弟とは思わぬと申せ
すぐ近くにありながら何故5日もかかるのじゃ、蒲生がおらねばこの信忠も討ち死にしたかもしれぬのだぞ」
何か言おうとした信雄の家来を有無を言わさず蹴り飛ばした、そして鑓を向けた、「門出ゆえ殺しはせぬ、直ちに伊勢に戻れ!」
信雄の元に戻った家来から信忠の権幕を聞いて信雄は震え上がった
「兄上も父上に劣らぬ癇癪もちじゃ、これではわしの身に災難が降りかかるやもしれぬ、どうしたものか」
織田家の5人の方面軍団長の一人、関東方面軍の大将である滝川一益は自称関東管領を名乗って北関東に威を張っていたが
信長討ち死にの知らせが北条や上杉にも届くと、たちまち南北から大軍が向かってきた
一益の兵は我先に逃げ出し、総崩れとなった、だが簡単に撤退できない
すでに甲州を支配下に置いていた河尻秀隆は武田の遺臣によって殺されていた、そこに徳川軍がなだれ込んできた
南からは北条軍が6万の大軍で攻め込んで上州を侵略してきた、北からも上杉が襲ってきて沼田あたりまで占領した
滝川は逃げるに逃げられず、ついに25000の兵で北条軍と戦う羽目になった、浮足立った滝川勢は圧倒的な北条の前に壊滅した
一益は2000ほどになって関東から脱出を試みた、甲州には織田に恨みを持つ武田遺臣が数多くいる
北信濃には配下の森長可がいたがいち早く岐阜を目指して落ち延びた、そこにも上杉軍が入ってきた
木曽と伊那街道には木曾義昌の兵が出張ってきている、敵ではないが場合によっては殺される可能性もある
一益は山の中を日数をかけての逃避行が始まった、各軍団長の中ではもっとも悲惨な目に合っている
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