生まれて間もない1センチ余りの小さな小さなカマキリの赤ちゃん。黄緑色の小さな姿ですが、一人前を主張しています。ここ数日暴風雨でしたから、どこかでひっそりと孵化した後隠れていて、
その勇姿を現したのだと思います。けなげで、かわいい・・・・・・と思います。
生まれて間もない1センチ余りの小さな小さなカマキリの赤ちゃん。黄緑色の小さな姿ですが、一人前を主張しています。ここ数日暴風雨でしたから、どこかでひっそりと孵化した後隠れていて、
その勇姿を現したのだと思います。けなげで、かわいい・・・・・・と思います。
若い青い柿の実の落ちる季節になりました。
我が家の裏庭はやっと桃の実が終わったと思ったら、かわいい青い柿の実と蔕(へた)がぼたぼたと・・・・・拾ってきて写真を撮りました。かわいいですよね。
毎年桃の実には驚かされます。雨除けのアクリル屋根に落ちて、大きいだけあってそれはびっくりするほどの大きな音を立てます。静かな真夜中、それこそ『ドカン』と落ちてきます。慣れないうちは本当に『ドキッ』としたものです。
庭のアジサイの写真を撮りました。私は水色のお饅頭のようなアジサイが好きです。
平戸市内の田んぼも田植えが終わったばかり・・・・・小さな冴え冴えとした緑が風に揺れています。うっとおしい梅雨の楽しみです。
今朝は日がさして良いお天気になりましたが、なんとなく肌寒く雨上がりの湿り気も・・・・・と思いながら外を眺めていました。そこへ大きな揚羽蝶が数羽舞い込んで、あちこち縺れ合うかのようにふわふわと飛び交っていました。『揚羽蝶が羽化したんだあああ~~~~』と、あの『さなぎ』を思い出しました。どこかでひっそりとお仲間さんたちが生き延びて、命をつないで出てきた・・・・・んですね。
春が来ます。あるいは春になりました?????先程上空を鶴の群れがシベリアに向かって通り過ぎてゆきました。騒がしい声を聞きつけて夫と二人庭に出て見送りました。大自然の循環を思うと同時に、『鳥は風なんだなあ!!!!!』との思いを実感しました。
庭の紅葉です。手前のは大好きな『どうだんつつじ』・・・・・新緑の季節には東山魁夷の世界と以前ご紹介したこともある応接間前の景色です。あまりにも奇麗だったので、ちょっとおすそわけします。
残念ながら、青虫くんは消えてしまいました。少し寂しくなりました。鳥からとられたのかもしれません。一抹の願いは・・・・・どこか雨風と寒さを避けるところで『さなぎ』になった・・・・・
また移動していました!!!が、小さくなっていました!!!
三分の二位のサイズになったような気がします。そろそろですね。昨日の『雨にも負けず』で、けなげです。(ドライな私としては、センチメンタル気味です。)
青虫といえば、必ず思い出すのが20(?30)年以上前佐世保市の梅田町に住んでいた時、庭の銀杏に発生したらしい楠蚕の幼虫の大移動・・・・・多分どこかでさなぎになるべく、そこいらじゅう物干し竿の上も何処も彼処も移動しているあの見事な白いひげを蓄えた青黄緑色の大きな青虫!!!!!あの青虫は『白髪太郎』という別名を持っているらしいのですが、畏敬の念すら感じたものです。あの青虫にはまた会いたいと思います。
夏と言えば、おそうめん!!!!!夫は昔からおそうめんが大好き?で、私はおそうめん茹での名人?????でした。おそうめんは三輪の大古物(おおひねもの)と決まっていました。島原そうめんの上等のものが三輪そうめんになる・・・・・と、誰が言っても誰からか聞かされても、三輪から取り寄せていました。おそうめんを茹でる専用の大きな有次の銅鍋も持っています。数秒間におそうめんの命を懸けています。それでおそうめんの品質にはかなりのこだわりを持っています。太さも極細ですが、これが細すぎてもいけません。白髪のように細いおそうめんは喉に詰まって、おそうめんのツルツルっという美味しさを損ないます。高校生の頃は、町の精米所でバラ売りの島の光という小豆島のおそうめんを祖母は買っていました。祖母はカビが生えている方が美味しい・・・・・と言って古いものを頼み、精米所のおじさんは店の奥の方からリンゴ箱のような木箱を出して来ました。そのおそうめんは、精米所で一年かそれ以上寝かされていたのだと思います。平戸地方のおそうめんと言えば『ごまだれ』というのが定番のお盆のメニューといった感じで、冷や麦のように冷たい水に浮かべている(?)おそうめんは無かったような気がします。
それが・・・・・このところ、悲しや・三輪そうめん・・・・・という感じになっています。どうしてでしょうか。どうなっているのかと言うと、おそうめんのコシの問題です。おそうめんのコシはうどんのコシとも違う、おそばのコシとも違う・・・・・針のコシ!!!!!とも言うべき、ピンとしたコシ。それが・・・・・何ともゴムのような・・・・・三輪そうめんの名を誇っていたかのおそうめんもダメ!!!!!どうしたらいいのか?????今のところ思案投げ首状態・・・・・あの精米所のおじさんがしていたように、自宅で来年まで寝かせてみようと、今保管しています。それまでは、小豆島のおそうめんを極端に短い茹で時間で半生(?)にしてしのいでみようかと思っていますが・・・・・どうでしょうか。
多治見を去る日が近づき切羽詰まって、どうしても行きたいとずっと念じていた場所に行ってきました。それは鼠志野の若尾利貞先生の工房です。突然お訪ねしたにもかかわらず思いもよらぬ歓待をしていただき、感激冷めやらずというところです。
実は我が家には美しくも厳しい鼠志野のお茶碗があります。そのお茶碗と初めて出会った時、20年にもなるでしょうか、ならないでしょうか・・・・・その時の衝撃を忘れることは出来ません。どのような言葉にしたらよいのかもわかりません。そして・・・・・そのお茶碗は我らが夫婦の手元に残り、作者の心と歴史に思いを馳せて自分の心との新しい交換を起こす契機となってきました。そのお茶碗を平戸に残して8年前上京したのですが、ご縁があってそのお茶碗の生まれ故郷多治見に移り住み、間もなく多治見を去って平戸に戻ろうとしています。何とかそのお茶碗に心を込められた作者にお会いしたい・・・・・との一念にかられ、偶然も重なって念願を果たすことが出来たというわけです。
お手元に残る作品が飾られたお部屋で先生ご夫妻にお目にかかり、貴重なお話を伺うことが出来ました。このことは私達のかけがえのない多治見の記念になりました。帰郷して後はお茶碗を手に取るたびにその日の先生ご夫妻のご様子やあれこれ伺ったことを思い出すだろうと思います。
わが日本の焼き物の中で特異な存在感を放っている志野。見るものの心をひきつけずにはおかない志野。私も『雪』と名付けたり『雲』と名付けたりして、手元にある食器を楽しんでいます。ですが・・・・・その出自にまつわる由来はいまだに多くが不明だそうです。現代日本人は多くの場合伝統文化になじまずそぐわず、日本人独特の感性に基づく『用の美』の工芸と遠く離れた日常生活を送っていますが、外国人はこの『志野』に大きな注目の目を向けているそうです。先生の作品は既にボストン美術館にも収蔵され、『グレーズシノ(鼠志野)』と名付けられているそうです。どんなつづりか正確にはわかりませんが、『グレーズ』という音が何となく『グレイス・グレーズ・志野』と重なるような気がして嬉しいのは私だけではありませんよね?????
この『グレーズシノ』という音を聞いて思い出したことがあります。ついこの前の11月半ば、猶興館高校の大阪同窓会がありました。そこで何と50年ぶりにあった同窓生と話したばかりのこと・・・・・『志野』は『チャイナ』という英語で括られたくない!!!!!・・・・・その同窓生はアメリカで金融関係の仕事をしている最も現代的な現役の実業家ですが、剣道と茶道も教えているのだとか・・・・・それで焼き物の話になり、意見が一致しました。『ジャパニーズ・チャイナ』というわけの分からない(?)分類も嫌だし、『チャイナ・日本』も嫌だなあ~~~~~と・・・・・・(『ジャパニーズ』は漆器の総称になっています。)
でも・・・・・帰宅して考えて・・・・・若尾先生のお話を伺ってまた考えて・・・・・
志野・・・・・信濃・信野・科野・・・・・チノ・茅野・・・・・シナ・志那・支那・チャイナ・・・・・
『チャイナ』とは『支那』のことで、現代言うところの中国や中国文化に代表されている焼き物の歴史的英語名だと思っていました。まあそれはそれで正しいのですが、『支那』と『中国』は同じではありません。『中国』は『チャイナ』ではないのです。(だから英語で中華人民共和国のことをチャイナと呼ぶのは間違っていると思います。)『チャイナ』の語源は、おそらく、『チーノ、あるいはシーノ』であって、『チン』あるいは『イン』・・・・・そして『・イン』という国名に由来するものだと思います。そしてその淵源は『殷』『秦』『新』『晉』・・・・・『陳』『元』(元が大きくヨーロッパに影響したと思います)『明』『清』・・・・・そしてまたこれが、わが国の信濃や茅野と深くかかわっているのだと思います。たとえば、『高志』も『越』に隠れてしまい、『高麗』も『駒』や『巨摩』に隠れてしまったように。それでも、いつも主張している通り、漢字に潜む音はその意味を時代を超えて受け継がれているのだと思います。
『志野』と名付けた人は、日本の桃山時代に日本の土と釉薬で新しい美を発見して『陶器の中の陶器』と感激し、歴史にちなんで『志野』と命名したのです。そこで私は提案します。日本では陶器のことを『チャイナ』という英語名は止めましょう!!!!!『シーノ』が正しいと思いますが、せめて、
『チーノ』 または、最大限譲って『チーナ』にすべきです!!!!!