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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

十五夜お月さん

2025-02-17 17:00:13 | 日本の『ウタ・ウタ・ココロウタ』

十五夜お月さんご機嫌さん ばあやはお暇取りました   十五夜お月さん妹は 田舎にもられて 行きました  十五夜お月さん母様に も一度私はあいたいな

 

これは父が教えてくれた歌。13歳下の妹を膝に抱いて歌ってくれました。歌は情緒で歌うんだとの持論も聞かせてくれました。子供ながら父の本音が『も一度私は会いたいな』というところにあって、私が生まれた年に亡くなった祖母を懐かしんでいるんだなと、勝手に納得した歌。

 

もう一つの十五夜お月さん。

 

十五夜お月さん一人ぼち 桜吹雪のはなかげに 花嫁姿のお姉さま くるまに揺られて 行きました   

 

これは本当の題名は『花かげ』というらしいのですが、私にとってはもう一つの十五夜お月さん。

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叱られて

2025-02-15 16:25:33 | 日本の『ウタ・ウタ・ココロウタ』

子供心に不可解だけれども惹かれる何かがある歌、悲しい何とも言いようのない旋律『叱られて』と複雑な歌『歌を忘れたカナリヤ』

 

叱られて 叱られて あの子は町までおつかいに この子は坊やをねんねしな 夕べ寂しい村はずれ コンとキツネが鳴きゃせぬか

 

何度もメロディーを母に教えてもらいました。どうしても心残り。もう一つは『歌を忘れたカナリヤ』

 

歌を忘れたカナリヤは後ろの山に捨てましょか いえいえそれはかわいそう   歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に捨てましょか いえいえそれもなりませぬ   歌を忘れたカナリヤは 象牙の舟に銀の櫂 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す

 

二小節と三小節の間で転調するんです。がらりと・・・・・それでも何か引っかかったまま・・・・・という複雑な歌。

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お正月

2025-02-11 11:55:00 | 日本の『ウタ・ウタ・ココロウタ』

遅ればせながら、お正月の歌。童謡ではありません。

 

 年の初めの例(ためし)とて 終わりなき世のめでたさを 松竹立てて門ごとに 祝う今日こそ楽しけれ   

 初日のひかりさしいでて 四方(よも)に輝く今朝の空 君がみかげにたぐえつつ 仰ぎ見るこそ尊けれ

 

和歌や俳句でない日本人の日常の歌も美しい言葉でつづられています。こういう歌は、連想空間を広くすると思います。

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桜貝の歌

2025-01-31 17:44:46 | 日本の『ウタ・ウタ・ココロウタ』

日本語は美しい叙情詞(こんな言葉があるかどうかわかりませんが)を持っています。桜貝の歌はその典型のような歌だと思います。

 

うるわしき桜貝一つ 去り行ける君に捧げん この貝は去年(こぞ)の浜辺で我ひとり拾いし貝よ  ほのぼのと薄紅染むるは わが燃ゆる寂し血潮よ はろばろと通う香りは 君恋うる胸のさざ波   ああなれど わが想いははかなく うつしよの渚にはてぬ

 

この二番の『ほのぼの』と『はろばろ』という言葉が胸に迫ってきます。この音の響きは、『栂の木の いやつぎつぎに』由来の日本人の感性だろうと思います。古事記の中で出会った歌で音の繰り返しの単語がどんなに人の心を打つか、私にとって印象的な歌があります。

 

       はしけやし 我家(わぎえ)の方よ たたなづく 青垣山ごもれる

 

日本武尊の臨終の御歌です。重層的に幾重にもたたなづく青垣の山々に取り囲まれている、あの場所あの場所に思い出もたたなづく・・・・・・あの美しい我が家がある方はあっちかなあ。故郷を愛するお心がひしひしと伝わってきます。これが音を繰り返す効果だと思います。この美しい『たたなづく』 という言葉が大好きです。この音で忘れれられない歌になりました。

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我は海の子

2025-01-30 14:38:30 | 日本の『ウタ・ウタ・ココロウタ』

我は海の子 白波の騒ぐ磯辺の松原に 煙たなびく苫屋(とまや)こそ 我が懐かしき住処(すみか)なれ  生まれて潮に湯あみして 波を子守の歌と聞き 千里よせくる海の気を 吸いて童(わらべ)となりにけり  高くはなつく磯の香に 不断(ふだん)の花の香りあり 渚の松に吹く風を いみじき楽と我は聞く

 

これは海洋民族としての素直で健全な心象風景を歌ったウタ。日本人の素直でおおらかな心の歌です。この歌を歌うと元気になり、浦島太郎を思い出し海幸彦に思いを巡らします。この歌を歌うと、懐かしい気分に襲われて父の『うからどち』という言葉を思い出し、わが故郷平戸の『平門男児』の気概を思います。そしてもう一つの『我は海の子』の歌、浜辺の歌のところでも触れた、ちょっと斜がかった若い青年期の『我は海の子』・・・・・琵琶湖周航歌。

 

我は海の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと のぼるさぎりや さざなみの 志賀の都よ いざさらば 

 

私は『さざなみの・・・』と聞いた途端、人麻呂や志賀の都に飛んで行ってしまうタイプなので、このなんとはなく憂いを感じさせる『我は海の子』も好きです。

『さざなみの』という言葉は『志賀』にかかる枕詞と言われています。そして当てられた漢字は『楽浪の』・・・・・考えさせられますよね。もちろんさざなみが楽な航海の波だとはわかります。ですがそれでも、楽浪郡は朝鮮半島に置かれた漢の四郡の一つです。博多にも志賀島があります。私的見解によれば、朝鮮半島に大和朝廷領があったと思っています。それが『随想古事記』でご紹介したとおり、『タラシヒメ・タリシヒコ』の理由だと思っています。

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遠足

2025-01-29 10:21:14 | 日本の『ウタ・ウタ・ココロウタ』

文語体へのあこがれを抱いた歌。小学校の唱歌でした。

 

鳴くやひばりの声うららかに かげろう燃えて野は晴れ渡る いざやわが友うち連れ行かん 今日はうれしき遠足の日よ   右に見ゆるは名高き御寺 左に遠くかすむは古城 春は絵の事我等をめぐる  今日は楽しき遠足の日よ

 

里の秋、故郷 蛍の光・・・・・

 

中学校で習った美しい歌・・・・・眠りの精、釣り鐘草

 

月の光に花も草も 夢を追いつつうなじ垂れぬ 声をばひそめて 枝はさやぐ  眠れ眠れ眠れ 我が子よ  小鳥楽しき歌をやめて 小さきふしどを慕いゆきぬ 野辺には虫の音 ひとり告ぐる 眠れ眠れ眠れ 我が子よ  眠らぬ子らを求めつつぞ 眠りの精は訪い来ん 怪しきその手の見えぬ暇に 眠れ眠れ眠れ 我が子よ

 

小緑の森の下影 目を覚まして釣り鐘草は ・・・・・・・ ひとり微笑む     実はこの歌はおぼろげにしか覚えていません。ただ焼き付けられた美しい情景を忘れることができません。

 

椰子の実、夏は来ぬ、荒城の月・・・・・

 

美しい音が人を美しくすると思います。美しい言葉を選ぶことができるように、大切な我が子と美しい歌を歌ってほしいと思います。

 

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浜辺の歌

2025-01-28 13:21:37 | 日本の『ウタ・ウタ・ココロウタ』

あした浜辺をさまよえば 昔の人をぞおもわるる・・・・・この歌は母の十八番の一つで、よく歌いました。そして、第一回の人麻呂の楽浪の志賀の大宮を思い起こさせ、琵琶湖周航歌を歌う若者へとつながっていきます。

 

朝浜辺をさまよえば 昔のことをぞ しのばるる 風の音よ雲の様よ 寄する波も貝の色も  夕べ浜辺をもとおれば 昔の人をぞ しのばるる よする波よ返す波よ 月の色も星の影も       

三番の歌詞もあるらしいけれど、私の記憶はここまで、音を伸ばしながら半音上げたり下げたり・・・・・そこにいろいろな連想が浮かぶ美しいウタです。

 

あしたはまべを さまよえば むかしのことをぞ しのばるる かぜのおとよくものさまよ よするなみもかいのいろも  ゆうべはまべを もとおれば むかしのひとをぞ しのばるる よするなみよかえすなみよ つきのいろもほしのかげも 

 

昔のこと昔の人をしのぶことによって、私達は『昔を今に』生きることができると思います。これが和歌の世界で言う本歌取り・・・・・私達は重複した時間を生きることができるというわけです。

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いやつぎつぎに つがのきの 

2025-01-27 17:02:16 | 日本の『ウタ・ウタ・ココロウタ』

父の背負子の『随想古事記』と『最終章・これを知るために』のカテゴリーを完結しました。それで『ウタ・ウタ・ココロウタ』という新しいカテゴリーを作りました。私が子供時代から心ヒビキあってきた歌を集めました。第一回目は、万葉集の中の有名な柿本人麻呂のもの悲しくも美しい長歌!!!

 

玉襷 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ あれましし 神のことごと 栂の木の いやつぎつぎに 天の下 しらしめししを そらにみつ 大和をおきて あをによし 奈良山を越え いかさまに おもほしめせか 天さかる  夷にはあれど いはばしる 淡海のくにの 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ すめろきの 神の尊の 大宮は 此処と聞けども 大殿は 此処といえども 春草の しげくおひたる 霞立ち 春日のきれる 百敷きの 大宮どころ 見れば悲しも

楽浪の 志賀の唐崎 幸くあれど 大宮人の 舟待ちかねつ      実は反歌と思しき歌がもう一つあって、私の好きな歌、

楽浪の 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢わめやも

 

意味など分からなくても構わない!!!この美しい音が次々に醸し出す柿本朝臣人麻呂の心に触れてみて欲しいと思います。

 

たまだすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ あれましし かみのことごと つがのきの いやつぎつぎに あめのした しらしめししを そらにみつ やまとをおきて あをによし ならやまをこえ いかさまに おもほしめせか あまさかる ひなにはあれど いはばしる あふみのくにの さざなみの おおつのみやに あめのした しらしめしけむ すめろきの かみのみことの おおみやは ここときけども おおとのは ここといえども はるくさの しげくおひたる かすみたち はるひのきれる ももしきの おおみやどころ みればかなしも

ささなみの しがのからさき さきくあれど おおみやびとの ふねまちかねつ

ささなみの しがのおおわだ よどむとも むかしのひとに またもあわめやも

 

 

なぜ栂の木でなければならなかったのか・・・・・この美しい歌の中で、ただ一つ長年心に引っかかり続けた疑問の音、今では解明できたと思っていますが、これは皇統そのものを指す言葉だということだけ申し添えておきます。

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