我は海の子 白波の騒ぐ磯辺の松原に 煙たなびく苫屋(とまや)こそ 我が懐かしき住処(すみか)なれ 生まれて潮に湯あみして 波を子守の歌と聞き 千里よせくる海の気を 吸いて童(わらべ)となりにけり 高くはなつく磯の香に 不断(ふだん)の花の香りあり 渚の松に吹く風を いみじき楽と我は聞く
これは海洋民族としての素直で健全な心象風景を歌ったウタ。日本人の素直でおおらかな心の歌です。この歌を歌うと元気になり、浦島太郎を思い出し海幸彦に思いを巡らします。この歌を歌うと、懐かしい気分に襲われて父の『うからどち』という言葉を思い出し、わが故郷平戸の『平門男児』の気概を思います。そしてもう一つの『我は海の子』の歌、浜辺の歌のところでも触れた、ちょっと斜がかった若い青年期の『我は海の子』・・・・・琵琶湖周航歌。
我は海の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと のぼるさぎりや さざなみの 志賀の都よ いざさらば
私は『さざなみの・・・』と聞いた途端、人麻呂や志賀の都に飛んで行ってしまうタイプなので、このなんとはなく憂いを感じさせる『我は海の子』も好きです。
『さざなみの』という言葉は『志賀』にかかる枕詞と言われています。そして当てられた漢字は『楽浪の』・・・・・考えさせられますよね。もちろんさざなみが楽な航海の波だとはわかります。ですがそれでも、楽浪郡は朝鮮半島に置かれた漢の四郡の一つです。博多にも志賀島があります。私的見解によれば、朝鮮半島に大和朝廷領があったと思っています。それが『随想古事記』でご紹介したとおり、『タラシヒメ・タリシヒコ』の理由だと思っています。