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小野田さんの講演

2006-04-16 09:56:22 | Weblog
昨日小野田さんの講演を聴きに行きました.小野田さんはご存知のとおり、元陸軍将校で戦後30年ルバング島で最後はお一人になられても戦い続け、苛酷な環境で目標を見失わず任務を全うされた方です.淡々と語っておられましたが、その現場はどんなであったろうとお察しするばかりで、如何なる状況にあろうとも実現可能なぎりぎりの目標に向かって努力することをあらためて思いました.

小野田さんが日本に帰ってこられた日の事は忘れません.私は長女出産のため、3月の初め一人で主人の実家に戻っていましたが、あの3月12日羽田に降り立たれる小野田さんをテレビで見て興奮し、産気づいてしまいました.舅も海軍で潜水艦搭乗の軍医だった人ですが、その父から1月あまりも早産になってはともうテレビを見ないで休むように言われたのを思い出します.それで娘の名前に小野田さんのお名前の一字も候補になりましたが、父から「女の子は嫁に行って姓が変わるから、8画の字にしなさい」とのアドバイスを受け、乃木大将の典の字になりました.典の字に親の願いを込めました.典雅な娘になるように、人々の大いなる助けになるようにと.

このようにして私達は親からそれぞれ名前をもらっていますが、私も実の父から聖徳太子の有名な一節を紙にかいて貰いました.何回かお話しましたとおり、実の父も陸軍将校で特攻隊の生き残りです.父と小野田さんのことについて話したことがあります.父は「当時の将校は皆あのようにしたんだ」と言いました.私も父なら出来るだろうと思いました.父はあの戦後の180度意識転換の時代を、転換せずに生き抜いたのですから、ある意味で小野田さんと同じく戦後を戦って暮らしたと思います.同じ軍人仲間だった人にも、世間の伝統無視にも憤慨することばかりでした.亡国の風潮を何とかしたいと微力を尽くしていましたが、世の趨勢はどうにもなりませんでした.子供たちも当世流の教育とは違って育てられましたが、私は良かったと思っています.娘の目には父は輝いていて、一番偉い人でした.

私達は今の常識で判断します.でもそれは大いなる過ちです.戦時下の事を平時の常識で判断しても歴史を見失うばかりです.平時には余裕があります.しかしその余裕は戦時下の状況を察するために使われるべきです.その証拠に今も沖縄は戦略的重要拠点であることに変わりがないのです.私達は平和だと思っていますが、アメリカの属領の位置に甘んじているだけです.防衛しているのはアメリカ軍なのですから.しかしアメリカにとって戦略的重要拠点だとは言っても、自国周辺ではないのです.だから漁業をしている人たちにも海上は大変な危険を持っているのです.日本が自前の国防軍をもつことが出来ても、沖縄の意味は変わりません.そこに在ることがそういうことの訳なのです.私達は沖縄にその意味の代価を支払うことしか出来ないと思います。

小野田さんは与えられた情況でもっている能力を鍛えて生きていくことの意味を話されました.本当に目標を持って生き抜くことに意味があるのです.目標と手段を考えずに叶いもしない夢を思うことは足が地面につかないことです.私達は平和に暮らすことによって、大切な任務遂行の能力を削がれています.戦後のある意味での戦争を今も戦っている拉致被害に遭われた同胞達を、私達はどうしようというのでしょうか.人間が生きている時間は限られているのです.戦争をしてでもと思うのが親心でしょう.私達はその気持ちをもっと共有しなければと思います.戦争は国民を守るためにするのです.それ位の覚悟をもって外交を後押しすべきではないでしょうか.

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