以前『東歌』とは『ツカル歌』だという記事を書きました。少なくとも万葉集が出来た頃の東とは現在で言う京都より東のことで、東京などは東の果ても果てだったのではと思います。東に良い国があるとの九州日向におられた神武天皇の東遷で考えてみれば、記紀時代の大和である近畿地方が東だったんだろうと思います。そしてそこは、ツカルの支配地域だったんです。
ツカルとは、簡単に言えば、『邪馬』です。詳しくは当ブログ内の『五色人の謎』などを読んでいただきたいのですが、中国大陸北部で古代国家殷を作った部族『鳥族』のなれの果て(?)・・・・・後代『猪』・『豚』と蔑まれてついには『邪馬』と当て字されるようになりました。私達が習う『邪馬台国』も中原の国家からは自分たち(?)が滅亡させたその『邪馬』ゆかりの国だったので、『邪馬台国』と史書に記録されました。
『殷』という古代国家についても殆どわかっていないことだらけらしいので、色々と考える余地があると思います。現在『殷』と呼ばれている国号ですが、『商』ともいわれているらしいのです。どうして鳥族が『殷』なのだろうと思っていましたが、『ショウ』が『チョウ』・・・・・『鳥』だったのかもしれません。そして『イン』が支配権を取ったのかも・・・・・しれません。これと同じことが紀元前後の『高句麗』にも起こったのかもしれないと思います・・・・・それで『高句麗』という犬族を思わせる名前で残ったのかもしれません?????・・・・・
またまた思い出すのは、天帝の娘織姫が結婚するのは『牛飼い・彦星』でした。女媧伏羲(ジョカフッキ・・・・・カの字はうまく反映されていないかもしれません)がこれではと思います。そして生まれる(?)のが神農・・・・・天とその娘女媧(ジョカ)が鳥で、彦星の伏羲が牛、神農が焼き畑で火を操り鋤鍬の農具から武器を作り出した犬ではないかと思うようになりました。殷という古代国家の存続期間も五千年(?)・・・・・何があってもおかしくありません。
漢字は殷時代の甲骨文字とは違いますが、甲骨文字なくして漢字もなかっただろうと思います。そしてそれよりもなお、世界中のどの部族もみんな『バベルの塔』事件を通り抜けたと思います。そして思うのは、すべての文字は人間の原初語としての音声を写すものだったはずです。各地に運ばれ散らばりましたが、人間の音としての共通の基盤を持っていると思います。だからワタツ人と私が呼んでいる最初の日本語を整理した人々(蛇族)の中に邪馬人(鳥族)も鳥と混血した牛族も犬族も(後に天孫降臨として脚色され)混入し、最後に馬族がそろって邪馬台国ならぬ大和国が出来上がったと思います。
ただ幸いなことにわが国では先住民族が絶対多数を誇ったのか長年の歴史風土を完成していたのか、許容範囲の広い日本語とともに勢力を温存し続けたのだと思います。もちろん辺境に追われたかもしれません。まつろわぬ邪馬人の地が『ツカル』・『東』になりました。それ以前に『邪馬』族に追われた蛇族・ワタツ人も、まつろわぬ牛族も犬族もいました。時代を経てツカルとなった小部族たちはさらに東へ東へと追われ・・・・・・ヤマトタケルノミコトに平定された東路、坂上田村麻呂の西暦700年代には現在の東北地方まで追われていたのでしょうし、12世紀の源義家は武蔵野の国の鎮守・調布の大國魂神社に先勝祈願をして東北に向かったと言われています。
『五畿七道』ってご存知ですか。奈良時代以後の律令制で定められた日本の地方行政区ですよね。その中で『東』という字がついているのは『東海道』と『東山道』・・・・・『東海道』は現在とほぼ同じですが、『東山道』はなんと現在の滋賀県から岐阜県を通って長野県・群馬県・栃木県・福島県・宮城県・岩手県・青森県・秋田県・山形県を覆う広大な地域です。これはツカル地方の海側と山側だったのが、東北地方まで伸びたのを東山道に加えたためだろうと思います。そしてこの広げられた地域である東山道の奥が『道の奥・みちのく・陸奥・むつ』になったのでしょうね。この漢字の使い方には、かなり慣れてきたように感じます。音符としての漢字と意味を持つ漢字の入り交じりを感じます。
チョウがチョになり、チョがトンになり・・・・・わが国ではトウになり東になりました。そして長い間わが国でも、もともとの鳥族・ツカルを意味していたのだと思います。