一句を書くことは 一片の鱗の剥奪である。四十代に入って初めてこの事を識った。五十の坂を登りながら気付いたことは、剥奪した鱗の跡が、新しい鱗の芽生えによって、補われている事であった。
だが然し 六十歳のこの期に及んでは、失せた鱗の跡は、もはや永遠に赤禿のままである。今ここに その見苦しい傷痕を眺め、わが躯を蔽ふ残り少ない鱗の数をかぞへながら、独り呟く・・・・・・
一句を書くことは 一片の鱗の剥奪である。一片の鱗の剥奪は 生きてゐることの証だと思ふ。一片づつ 一片づつ剥奪して全身赤裸となる日の為に「生きて 書け・・・」と心を励ます
三橋鷹女の句集『羊歯地獄』自序より
シバザクラ(芝桜)