今回は朝日新聞連載の文豪・文人ゆかりの地 石川啄木終焉の地を訪ねました。池袋よりメトロ丸の内線二つ目茗荷谷で下車、この駅は地上に露出していて、駅のホームから入道雲がみえる。
①<11:13>
偶々50数年前私ども夫婦が結婚式を挙げた”茗渓会館”の傍を通るので懐かしい思いがします。
②1965年<昭和40年>10月3日、結婚式を挙げた茗渓会館、今は建て替えられています。<11:15>
③茗渓会館の通りを右に折れて教育の森、文京区スポーツセンターに入ります。隣には筑波大学があり、そこはどこですか?親子連れの可愛いお子さんづれがおりたずねる。一枚のスナップを撮りカメラ画面をのぞいてもらった。<11:37>
④教育の森の中には大学ありで緑がいっぱいです、<11:46>
⑤次に旧磯野住宅です、ここは国指定重要文化財となっており、実業家磯野敬氏<1868-1925>の住宅で「銅(あかね)御殿」と呼ばれる、しかし参観日ではなく見られませんでした。外観のみ、<11:52>
⑥最終目的地、石川啄木終焉の地を、親切なご婦人に案内されて到着、病を得て明治44年<1911>小石川区久堅町<現在文京区小石川五丁目>この場所に転居、いまは建て替えられビルになっている、その隣に碑があり草稿原稿が印字されている。
「呼吸すれば、胸の中にて鳴き音あり、凩よりもさがしきその音」碑文
<12:23>
⁂石川啄木は、若い命・26歳にして結核にて亡くした。正岡子規・樋口一葉ら才人は若くして失くす誠に残念であります。長生きしていたらどんなに栄光に輝いたろうか・・・
追伸、ぶらり旅のあとOB会社OB会写真定例会に出席、"架け桶の雨蛙”互選により2位に入りました。
<いわどの山荘主人>
若い時は感傷的と思っていましたが、とんでもないことを知りました。
体をむしばむ音を詠むことで、いいようのない切なさを表現してますね。
啄木が夭折した年頃、ぼくは茗荷谷の印刷会社で働いていました。
なつかしい。