友(熊ちゃん・北海道北広島市に住む、)の死がきょう(8日)届いた手紙で奥さんから知らされた!、4月28日午前2時55分永眠されたとの報・・!、葬儀はコロナ禍のご時世、本人の意向もあり近親者で5月4日初7日を終えましたとあります!、永年友人としてご厚情ありがとうございますとありました。
彼との最後の会話電話でのやり取りは正月でした・・私の年賀状をみていただいて返電でした!「おめでとう」の元気な声でした!直接生の声で話したいとお思ったからでしょう!あのあと1月16日に緊急入院とあります、心臓弁膜症とのこと大動脈弁の手術を受けられて経過もよく自宅に戻れることを望んでリハビリを続けていましたが、4月中頃からだんだんと血圧が安定せずついに力尽きてしまいましたとあります!。奥さんが辛かったことは、このコロナ禍での3年余り後半入院中の面会禁止で直接会って声かけたり励ましが出来なかったことが残念心残りだと書いておられました!奥さんにとって最愛の夫の看病が出来ないことは何とも可哀想でなりません。まだこんなことが続いていたとは知りませんせんでした。
彼も私も同じ年、離れてでの手紙のやり取りがはじまります!、そんな中で思い出は東京近辺にいる同期入社5人で熊ちゃん処を訪ねて北海道旅行をしようと計画しました時、喜んで迎えていただき一緒にジンギスカン料理を食べて美味しかったことを思い出します。
手紙の交流は今年までつづきました、紅葉や雪景色など季節の変化の都度、有名な札幌雪祭りの写真を添えてのたよりです。日本ハムファイターズボールパークでは3年後に俺の町に来るとのことで最初から応援していました、今年の開幕試合には見に行かくんだといってましたが、きょうの手紙よると残念だったようです・・!、
ともあれ、会社同期入社6人の中で私ばかりが残されてしまいました。北海道旅行に東京近郊から一緒した4人も今は亡き人になっております。
熊ちゃん安らかに眠ってください!、定年してからも人工透析を受けながらもマンションの管理組合の役員やら地域の福祉委員・子供の登校時の見守り・防犯パトロールなどやって来られた積極的に参加されていた、社会奉仕活動に熱心であった熊ちゃん!!
「熊ちゃんどうか安らかにお眠りください。合掌」 S・K
<いわどの山荘主人>
〇5月10日野の花たち<6:59>