庭の片隅に咲いている小さな花、管理しているカミさんに聞くと”サフラン”という・・、花図鑑で調べてみると2月のクロッカスとのことである。別名花サフランとか春サフランと謂うそうである。この小さい黄色い花は誠に可憐である!寒さの中で咲いてくる愛おしい花です!
<いわどの山荘主人>
〇花サフラン、<10:46>
庭の片隅に咲いている小さな花、管理しているカミさんに聞くと”サフラン”という・・、花図鑑で調べてみると2月のクロッカスとのことである。別名花サフランとか春サフランと謂うそうである。この小さい黄色い花は誠に可憐である!寒さの中で咲いてくる愛おしい花です!
<いわどの山荘主人>
〇花サフラン、<10:46>
2月の空は風に晒される!きのうまでの空は澄んでいる!朝目を覚ますと東の空が真っ赤か・・瞬時である<6:11>!夜明けまでのいっとき(一刻)です!二階の窓からEOSRミラーレスで連射する、興奮の時、日の出<6:17>には消えた!
<いわどの山荘主人>
〇茜空、<6:11>
〇わが家の金縷梅(まんさく)が残っています、<8:29>
「巻頭」越生梅林全景<11:00>
きのう脳外科病院への通院がてら帰りに越生梅林に寄ってみたお昼の太陽は輝いており古木梅林に差す日は余寒の気温でありまだ冷たかった。①<11:02>
②梅林に分け入る、<11:05>
③梅林の歴史があるので古木が多い、そして形がイイ!<11:12>
④梅林の中、<11:15>
⁂関東でも有名な梅林でもある、去年・今年と地域の梅まつりは新型コロナウイルス感染のため中止されている、われわれ庶民としては身近なものぐらいと思いますがそうはならないのです!花の様子を見さしてもらって帰りました。
<いわどの山荘主人>
東京は門前仲町、深川不動堂ととなりに八幡さまがある!この八幡さまは、江戸三大祭りの一つ「深川八幡祭り」で有名な富岡八幡宮<1627年(寛永4)創建>です!二百余年前、この八幡さまに縁の深い方、近くに住居を構えた伊能忠敬<1795年(寛政7)から1814年(文化11)まで>住んだのです! この伊能忠敬さんは、日本国中を測量して廻り、初めて実測による日本地図「大日本沿海輿地全図」(伊能図)を完成させた人<1745~1818>です。1800年(寛政12)蝦夷地測量(第1次)に出発し、歩測しながらの過酷な旅は、数カ月から時には約2年にも及び、忠敬自身の全旅行距離は計3万5千キロ、しかし全図の完成を見ぬまま、73歳の生涯を終えた。3年後の1821年(文政4)門人の手によって全図は完成、幕府に献上されたのです。<2月22日付朝日夕刊・まちの記憶より参照>
それと同時期、寛政・文化・文政の時代<1800年前後>私の祖先も新田開発の重責を担って活躍していたことが、実家の蔵の中から古文書が発見されました。老人大学時代古文書を習う機会が得られたので、これらの解読をして、「わが祖先への想い・・川嶌家の成り立ち・・」としてA4版26ページにまとめました。
川嶌定六開拓の時代、寛政・文化・文政<1792年~1819年>約30年間です!この時代は忍藩の領地下です、<忍藩主阿部家藩政と遺宝より>石高10万石、江戸幕府は徳川11代将軍家斉が文明7年から天保8年(1837年)50年間もの長い間将軍の座にありました(子沢山でも有名)。
〇定六最初に出て来る古文書、①<1792年>寛政4年亥12月、定六は畑9畝4歩を通用銀2両2分2朱で譲り受け、受取申金子として受取証を取ってある、
畑譲渡人 忠兵衛
証人 四郎兵衛 孫八 喜左衛門
組頭 七兵衛
春か(すか)村 定六 殿
<古文書説明> 請取申金子之事
合せ金 弐両弐分弐朱 也 但通用銀 也
右は我ら所持の畑9畝4歩譲渡の為祝金請取申候
右本書に記す候通り毛頭違乱無御座候
為後日可判乃而如件
寛政四年亥十二月」<1792>
〇②譲渡シ申畑証文之事 文化四年丁卯年十二月(1807)定六 殿
〇③同上請取証 他5例あり拡大して行く過程が分る。
*伊能忠敬と同時代に生きた私の祖先の墓碑、寛政1年巳酉(1789年)
刻運禅定尼他2墓碑に施主川嶌定六とある 当時百姓でも姓名があったのである。
古文書を数例披露したのですが、古文書に名が見える定六開拓史です!没したのは不詳ですが、その後留吉・末吉・和三郎・紋左衛門・八郎と続いて私で7代です。
<いわどの山荘主人>
〇きょう庭の水仙です!、<7:55>
遅霜の恐れがあるが2月21日、新じゃがの植え付けを終えた!木っ端堆肥に鶏糞と化成肥料に石灰を施し、ヤンマー耕運機ポチで耕し2列の畝を作り試験的に地の種男爵を植え付けたのです。早く収穫をしようとビニールで被いました。例年芽は早くに出るのだが、4月のある時期に遅霜に懸かってしまう!その霜除けに毎年苦労しているのです・・、厚手のビニールや除草用の掛物とか毛布を掛けてやっても寒さ除け・葉が霜焼けになってしまう!いったん葉が霜焼けに遇うと大きな芋にはならない!何となく試行錯誤を繰り返しているのですが、まだ成功はしていない・・・?
<いわどの山荘主人>
〇ジャガイモの種植え付け2/21、<14:50>
〇ビニールで被い、傍にヤンマー耕運機ポチ・・、<15:57>
「巻頭」北帰行編隊組む、<7:21>
けさ土曜日、川霧である!気温は△4.1℃、Am7:20分・飛び立つ、北に帰るのか20羽ほど編隊を組んで天空を展開してから西の空へ消えて行った。
①<7:21>
②落穂拾いか、私の傍を行く、<7:20>
③舞い戻り着水模様、<8:22>
⁂2月20日ともなると、日が延びる白鳥さんも気が急くのでしょう!今朝は12月はじめに白鳥飛来地を訪ねてから16目になる!タイミング合わなくてとび立っちゃ後とか何時まで待っても飛び立たない時をあり、白鳥との思いではいっぱいです!今日より明日は傑作を撮りたいと願うのが人情というもの、しかし中々上手く行かないものです・・。
<いわどの山荘主人>
「巻頭」霜柱文様・城壁、<8:22>
二日前の雨のあと、けさの冷え込み<△6.0℃>である!霜柱文様を思い浮かべて農園入り口の板橋を渡る・・、①<7:44>
②畑の窪みが盛り上がる、<7:45>
③霜柱の結晶、数々、<7:48>
④文様・結晶、<8:03>
⑤草木と・・、<8:18>
⑥結晶・文様・城壁、<8:22>
⑦小屋前の葉牡丹・廃焼却炉、<8:25>
⁂以前撮った写真には、盛り上がった霜柱の上に苔が割れて載っていた、チャンスを探して昨日回ってみたが、そんなイイ条件は見つからなかった。
<いわどの山荘主人>
先日の風がおさまっている一日、親しくしている野菜作りの仲間に手伝ってもらって屋根の張替えをした!前回張り替えたのは2018年9月です、2年5カ月持ちました。このハウスも6回目張替え、15年になります。6年前の60cm積もった大雪で北側のパイプが折れ曲がりました。相当の重量だったと思います。初めの頃は苺の四季どりでクリスマスに苺が食することも出来ましたが、最近は連作障害もありハウスの中では上手に育つ野菜がなくなりました、種芋の保存とか物置に使うことが多いです。
<いわどの山荘主人>
〇屋根を載せたたビニールハウス、<15:13>
〇翌日の風景です、<7:44>
〇近所では白梅が満開です!<7:39>
コロナ禍の中で、わが家の庭で今年も咲いてくれた!! 日の当たる昼に開花し夕方には閉じる向光性の福寿草である。黄金色の花は、美しい女神の化身と伝えられる!ギリシャ神話では、美青年アドニスの血から生まれたといわれ、アイヌの伝説では天界の美しい女神クノウの化身と伝えられる!! マクロレンズで追っかける・・
<いわどの山荘主人>
〇花開く、<11:38>
〇虫を追う、<11:40>
〇花閉じる、<15:47>
この冬は特に雨が少なく、80日ぶりの雨があった!その後も雨はなく乾燥で畑の冬越し野菜は勢いがありません。そんな訳で無人スタンドの野菜も数は少ないです。
きのう無人スタンドをのぞくと、うれしい励ましの応援メッセージが手提げ金庫の下にありました。~~ささやかなエールを送ります~~とあります!
!今もコロナに油断できませんね、誰もがストレスや不安の中でいつも新鮮な安心して食べられる野菜をありがとうございます。毎日の健康の為に野菜は欠かせません、日頃の感謝を伝えたいと記しました。!
わたしも定年後の趣味ではじめたもので、みんなで分け合って借りうけて作業してた者が亡くなれたり老齢で作業がやれなくなったりして、元気が良かった私が結局は引き受けることになりました。無人スタンドを出して年を重ねますが、左今は気候変動が激しく、昨年の7月は雨ばっかり<トマトが雨腐り>8月は日照り<苺のランナーが枯死>続きと大変難しくなって来ました。そんな中励ましのエールをいただき感激している次第です!
〇無人スタンドへの応援メッセージです!<10:30>
〇2時野菜、春大根・人参に種まき、2/10<14:25>
⁂無人スタンドを開いて9年になりますが、手提げ金庫を盗られたのが二度ありましたが残念なことはその位で後は、道端に朝顔垣根なり向日葵街道なりで通る人が和んでいただけることで喜びとしております。
<いわどの山荘主人>