Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

青い事典、その11

2016-10-01 19:48:59 | 日記

 日が長くなり、衣類も身軽になり、気候もすっきりとした日、私は我知らず座敷で事典を眺めていました。

はーと、ため息が漏れます。

溜息は何度目だったでしょう、自分でもそれが1回の事ではないと気付きました。

それは祖父に声をかけられたからでした。

「何かあったのかい?」

気が付くと私は仏壇の前にいました。

目の前には開かれた事典。私は畳にぺたりと座って事典に覆いかぶさるように溜息をついていました。

 あれ?、キョロキョロと見回して、自分でも何をしていたか記憶を探ってみます。

私は何回か溜息を吐いていたなと思います。それは分かりました。

そういえば座敷に本を抱えて来た。ここで読もうと思ったんだった。

そんな事が思い出されてきます。

 本を開いたら、父の言葉が思い出されてきて、われ知らずの内にあの日言い争った時点に戻り、ぼーっとページを捲っていたのでした。

勿論、ページに何が書かれているかなど目に映っていませんでした。

頭の中にあるのは父の言葉でした。

駄目だからな。

と、ここで溜息、ページを繰る、駄目だからな、…溜息という繰り返しをしていたようでした。

祖父に声を掛けられて我に返ったわけです。

そうか、ここは座敷だっけと思ってみると、私は祖父がいた事にさえ気付かずに此処へ入って来たのでした。

 「何かあったのかい?」

祖父が再び聞くので、祖父の方を見ると、少し微笑んで孫の話を聞こうかという体制でした。

布団から身を起こしてこちらを向いていました。

私は祖父とはほとんど話をする事が無く、昔から祖母が話し相手でしたが、その祖母が他界してからもう1年以上が経つと、

こんな風に直接祖父と向き合うこともまま有るようになっていました。

 どうしようかと迷いました。

祖父も亡くなった祖母も、私が物心つく頃には本当によぼっとしていていかにもお年寄り然とした風貌でした。

『こんなよぼよぼとしたお年寄りに、相談などしてもどうにもならない。』

そうは思ったのですが、私は話し始めました。

「将来、化学者か、考古学者か、天文学者になりたいって言ったら、お父さん駄目だっていうの。」

その後の細かい話はあまり言わなかった気がします。

家が貧しいからとか、学費が無いからとか、私がそう利口でも無いからとか、そんな話はしなかったと思います。

祖父は微笑んで可笑しそうに目を細めていましたが、

「お父さんが何といっても、お前が成りたい物に成ればいいんじゃないか。」

と言ってくれます。

そうだろう、と。

そして、お父さんには私からよく言って置くと言ってくれたのです。

 私はこの祖父の言葉に胸を抉られたような感動とそして反面非難を覚えました。

そうだ、私はどうして、どうしても成りたいと強く願わなかったのだろう。

どうしてそうしたいと今までシャカリキになって勉強しなかったのだろう。

ただ、こんな風に本を広げて溜息を吐いていただけだった事に気付きました。

自分の不甲斐なさに気付いたのです。

 塾に行けないからとか、学校の勉強だけでは限りがあるからとか、何かしら理由を付けて目的に邁進していない自分。

自分の性格や、能力について客観的に見る事に目覚めたのでした。

 『そうね、どうして今まで私はしたかった目的の為に頑張らなかったのかしら、言葉だけで反論するだけで、

父に言われた通り素直に従って来ただけだ。1年程を何の努力もせずに無駄にしてしまった。

反省と共に、この自分の大人しい性格では大きな事は成し遂げられないと、この時自覚するのでした。 

 


青い事典、その10

2016-10-01 11:46:06 | 日記

 ね、いいでしょう。という風にかー君に促されて、私は相当困りました。

正直、おー君とはもう付き合いたくなかったのですから、これは当たり前の反応でした。

困惑する私に、かー君は了解を迫るのでした。

 ここで私は父の言葉を思い出しました。

それは4年生の頃、父は私に、何か返事に困った時は、考えてみますと言えばよい、あとでゆっくり考えて答えを出せばいいからな、と教えてくれました。

そうか、そんな風にするのだと、以降私は心得ていました。

「考えてみるわ。

そう答えるとかー君は意外なことに、喜ぶでもなく、こう言いました。

「嫌なら無理に行くことないから。」

このかー君の言葉に、思わずにこっとする私でした。

 そして、その後おー君のお誘いはありました。

困ってしまいましたが、しぶしぶ放課後おー君について行くと、学校からは少し遠回りなりますが、いつもの坂道の脇の小道に差し掛かりました。

此処でおーくんが振り返って言います。

「Junさん、ほんとは嫌なんじゃない、僕の家に来るの。」

嫌なら無理に来なくていいよと、おー君は言って歩き続けて行きます。

 私の足はピタッと止まり、おー君の遥かに進んで行くのを見送っていました。

『そうよ、ほんとは嫌なのよ。』

昔ならいざ知らず、今は彼と話すのが厭わしく、煩わしいのでした。

おー君は一人で結構進み、横にいるはずの私に話しかけて、そこに私がいないので振り返ってこちらを見ていました。

その間、10メートルくらい離れていたでしょうか。

それまで私が動かずに彼を見送っていたのは、さようならの言葉なしに帰ってよいかどうか迷っていたからでした。

彼が振り返ってこちらを見たのを幸いに、私はさようならと手を振って見せました。

彼が頷いたので、私はにこやかに帰って来ました。

そして、もうそれっきり、彼の家には行かなくて済むようになったのでした。

以降はかー君もそれ以上何も言わなくなりました。

 

 

 

 


青い事典、その9

2016-10-01 11:07:55 | 日記

 そんな事があって何日かした頃、2、3日の間であったかもしれません。

教室でかー君から声をかけられます。

教室でかー君が私に話しかけるのはとても珍しい事でした。

4年生の頃、あの後ですが、地理の出来が悪かった私をクラスメートの男の子に

「こいつ馬鹿なんだよ、関東地方とか近畿地方の区別が付かないんだ。」

と、さも彼し面をして話した事が2回くらい、その程度です。

 その時は、その男の子が何か話そうと近づいて来た時で、ちょうど私達は席が隣どおしでした。

クラスメートのその男の子が口を開けようとしたとたん、かー君がこう言ったのです。

確かにその頃私は東北地方、北陸地方、という地理的な名称が覚えられ無くて困っていました。

テストでも2回くらい間違えていて、隣にいたかー君はよく知っていたようです。

 ほんとの事だからと思うと、私はかー君の普段と違うぶっきら棒な言い方に一応驚きながらも、

そうなの、と、相槌を打つのでした。

ホントに覚えられないのよ、馬鹿でしょう。最後はやけ気味でしたが、一応愛想笑いしておきました。

どうしたのだろう、かー君?と思っていましたが、考えてみると、プロポーズの後、

これ(私)は自分の彼女なんだと言う示威的行為な物言いなのかなと感じました。

この頃はまだ彼に恐怖心のある頃で、困ったと思いながらも、半面嬉しい気もした複雑な心境の私でした。

 しかし、この後が可笑しかったです。

その子は、え、っという感じでちょっと考えていましたが、

「趣味悪い。」

と、一言いうと行ってしまいました。

 ?

かー君が何か言うかなと思っていたのですが、特に何の言動も無く、静かに固まっていました。

誰が趣味が悪いのかと私は思ってみるのですが、当時は、まさかかー君と付き合う私という風には取れなかったので、(取らない方がよいと思い

「ごめんね、私みたいな馬鹿な子で。」

と、だけ言うと、私はその場のお茶を濁したのでした。

 ということで、このくらいしか教室で話したことがない私達でした。

だから、その日教室内でかー君に話しかけられた事自体に私はびっくりしました。

そして続いてかー君の口から出た言葉に再び相当驚いてしまいました。

「Junさん、おー君の家に行ってやってくれない。」

同じクラスだから、親しくしない訳にもいかないし。と、彼は言うのです。

びっくりしました。寝耳に水という感じです。