日が長くなり、衣類も身軽になり、気候もすっきりとした日、私は我知らず座敷で事典を眺めていました。
はーと、ため息が漏れます。
溜息は何度目だったでしょう、自分でもそれが1回の事ではないと気付きました。
それは祖父に声をかけられたからでした。
「何かあったのかい?」
気が付くと私は仏壇の前にいました。
目の前には開かれた事典。私は畳にぺたりと座って事典に覆いかぶさるように溜息をついていました。
あれ?、キョロキョロと見回して、自分でも何をしていたか記憶を探ってみます。
私は何回か溜息を吐いていたなと思います。それは分かりました。
そういえば座敷に本を抱えて来た。ここで読もうと思ったんだった。
そんな事が思い出されてきます。
本を開いたら、父の言葉が思い出されてきて、われ知らずの内にあの日言い争った時点に戻り、ぼーっとページを捲っていたのでした。
勿論、ページに何が書かれているかなど目に映っていませんでした。
頭の中にあるのは父の言葉でした。
駄目だからな。
と、ここで溜息、ページを繰る、駄目だからな、…溜息という繰り返しをしていたようでした。
祖父に声を掛けられて我に返ったわけです。
そうか、ここは座敷だっけと思ってみると、私は祖父がいた事にさえ気付かずに此処へ入って来たのでした。
「何かあったのかい?」
祖父が再び聞くので、祖父の方を見ると、少し微笑んで孫の話を聞こうかという体制でした。
布団から身を起こしてこちらを向いていました。
私は祖父とはほとんど話をする事が無く、昔から祖母が話し相手でしたが、その祖母が他界してからもう1年以上が経つと、
こんな風に直接祖父と向き合うこともまま有るようになっていました。
どうしようかと迷いました。
祖父も亡くなった祖母も、私が物心つく頃には本当によぼっとしていていかにもお年寄り然とした風貌でした。
『こんなよぼよぼとしたお年寄りに、相談などしてもどうにもならない。』
そうは思ったのですが、私は話し始めました。
「将来、化学者か、考古学者か、天文学者になりたいって言ったら、お父さん駄目だっていうの。」
その後の細かい話はあまり言わなかった気がします。
家が貧しいからとか、学費が無いからとか、私がそう利口でも無いからとか、そんな話はしなかったと思います。
祖父は微笑んで可笑しそうに目を細めていましたが、
「お父さんが何といっても、お前が成りたい物に成ればいいんじゃないか。」
と言ってくれます。
そうだろう、と。
そして、お父さんには私からよく言って置くと言ってくれたのです。
私はこの祖父の言葉に胸を抉られたような感動とそして反面非難を覚えました。
そうだ、私はどうして、どうしても成りたいと強く願わなかったのだろう。
どうしてそうしたいと今までシャカリキになって勉強しなかったのだろう。
ただ、こんな風に本を広げて溜息を吐いていただけだった事に気付きました。
自分の不甲斐なさに気付いたのです。
塾に行けないからとか、学校の勉強だけでは限りがあるからとか、何かしら理由を付けて目的に邁進していない自分。
自分の性格や、能力について客観的に見る事に目覚めたのでした。
『そうね、どうして今まで私はしたかった目的の為に頑張らなかったのかしら、言葉だけで反論するだけで、
父に言われた通り素直に従って来ただけだ。1年程を何の努力もせずに無駄にしてしまった。』
反省と共に、この自分の大人しい性格では大きな事は成し遂げられないと、この時自覚するのでした。