Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

新しい目、13

2016-10-20 14:08:42 | 日記

 その日の朝、早めにお医者様をお願いして、祖父は診察を受けていました。

診察後、父は祖父が肺癌だと言われたようで、真顔で盛んにそんなことは無いと呟いていました。

何故そんな事が無いと言い切れるのか私には不思議でしたが、

お医者様がそう言うのならそうだろうと思いました。

要するに、父はそうあって欲しくないと、盛んに違うと言っていたのでしょう。

私も祖母の事があったので、祖父までが癌だとすると、またあの夜間の痛い痛いという悲痛な呻きが始まるのかと、

暗澹たる気持ちになるのでした。

 でも、もし癌だとしたら、祖母の時には出来なかった入院をさせてあげたいと思いました。

それで直ぐに父に言いました。もし癌だったら、今度こそお祖父ちゃんを病院に入院させてあげてね、

お祖母ちゃんの時とは違って、今なら少しぐらいはお金に余裕があるんでしょう、と。 

 祖母の時には私はまだ小学生でしたが、中学生となった今、少しは家庭での発言権も増したかなと、

父に確りと自分の意見を言おうと決めていました。

それで、事実を確認しようと、次にお医者様が来た時に私は直接先生に祖父は肺がんなんですか?と聞きました。

先生は祖父の診察後、いや、肺がんじゃないよと仰るので、先生がそう言うのならそうだろうとほっとしました。

 それにしても、父は如何してあんな事を言っていたのだろうと、今度は父の言動が不思議に思えて来ました。

父に如何してあんな事を言っていたのかと聞くと、そう言う可能性があるという話だったんだ、との事でした。

とりあえず、癌でなくてよかったと、私は祖父が祖母のように苦しまなくてよい事にほっとしたものです。

 それから何日かは何事も無く過ぎ、ある晩、

「いた!」

という、祖父の声を聞いたように思い夜間に目が覚めました。

気のせいかしら、そう思いまた眠ってしまいました。

 そしてまた2、3日経った夜中、いたた!そんな片言の声が、今度ははっきり聞こえたようです。

私は布団に身を起こし、祖父の部屋の様子に耳を聳てるのでした。

 翌日、私は父に、祖父に大きな病院で検査を受けさせた方がいいと思うと言います。

何だか、夜中にこれで2回くらい痛いという祖父の声を聞いたようだからと。

昨夜の声はっきり痛いと言っていたと訴えます。

 父は無言でしたが、それでも、検査を受けた方がいいと思うか?と私に聞いてくるので、

そうした方がよいと思うと私は言います。

お祖母ちゃんの時には出来なかった事を、お祖父ちゃんの時にはして上げてほしいと。

 父は祖父の事を心配する私がちょっと不思議なようで、

お祖母ちゃんの時にはそんな事を言いもしなかったのに、如何してお祖父ちゃんの時にはそんなに熱心なのかと言います。

それで、妙な事をと私は、お祖母ちゃんの時にも私は入院させてあげて欲しいと言っていたはずだと反論します。

お祖母ちゃんの時には私はまだ小さかったし、家も余裕がなかったのでしょう。

でも、今は少しは余裕があるはずだし、私だって中学生なんだから、少しは家の事が分かるのよと、

父に強い口調で訴えかけるのでした。

 父は母にそうだったかなと、私の目の前で祖母の時の私の様子を聞いていましたが、

母も私がそう言っていたというと、

そうか、と、その頃の記憶が自分にはあまりないのだと自身でも不思議そうでした。

 そんな親子のやり取りがあって、また何事も無く日々が過ぎて行く中、

祖父の様子もそう変化が無い様で、夜間の声もその後なかったようなので、

私はまた日々の中学校の生活に気を奪われて行きました。

 

 

 

 


新しい目、12

2016-10-20 10:19:10 | 日記

 どうやって祖父を布団に戻したか覚えていませんが、お医者様を呼ぼうにもまだ夜明け前です。

家族の私達でさえ深い眠りの中でした。

漸く目を覚まして事態が分かるまで時間がかなりかかった事からも分かるように、

この時間帯は人が相当深い眠りについている時間のようでした。

祖父の容体は容体として、皆、眠くてしょうがないのです。

こうやって起きてはいても、半分頭も体もまだ睡眠の中でした。

 私にしても、確かに迷惑気分はありました。

まだ眠りたいのに、布団は襖と祖父に占領されていて潜り込めません。

パジャマではまだ冷えの来る頃でした。

暖かな布団の中が恋しいと思い始めると、私はぶるぶると寒さに振るえが来ました。

 寒くてじっとしていられ無いと足でだんだんを踏み出した頃、父はようやく祖父に声をかけていました。

此処は祖父の布団じゃないとか、父さんの寝床は向こうだとか言っていました。

私は父の言葉を聞いて、そんな問題じゃなく、祖父は容体が悪くなっていて、

緊急の事態なのではないかと父に言ったのですが、父は案外冷たく、

そうじゃなくて布団の場所を間違えているだけだと言うのです。

 それで、私は自分の考えを確かめるように祖父の額に手をやって熱を診てみました。

手を額にかざして、明るい電灯の下、間近で祖父の顔を覗き込んでみると、祖父は少し目を開けて瞳を見せていました。

祖父の瞳が見えると、目の開かない顔よりそう苦しそうでもないのかなと、私はほっと安心しました。

熱もそう高くはなさそうでした。

 そうですね、父に言われて祖父は後ずさりして戻ろうとしたのかもしれません、

転がって行くだけの元気が無かったのでしょう。父も抱えるとか、運ぶとかはできなかったようでした。

本当にどうやって自分の布団に戻ったものか、祖父は一応座敷に戻り布団に収まりました。

 父は祖父と話していました。座敷から父の声だけ聞こえてきます。

孫の布団に潜り込むなんてどういうつもりだとか、夜中に迷惑かけないでくれとか、

言葉からするとどうも怒っているようでした。 

 私は倒れた襖の件があるので、父が戻って来た時に、祖父が襖を倒している、息も荒く苦しそうだった、

とても具合が悪いんだと思うと言うと、父は襖に初めて気付いたようでした。

この辺り、起きているようでもやはりまだ寝ぼけている状態だったのでしょう。

 父は改めて事態の再確認をしたようです。

祖父の寝床に戻ると、今度は優しく父さん具合が悪いのかと尋ねていました。

その後私のところへ戻ってきた父は、

「お祖父ちゃん、もう長くないだろう。

と、覚悟しておいた方がよいと言うのでした。

 多分この言葉は父自身に言い聞かせる言葉だったのでしょう。

父は末っ子でしたから、自分だけで言葉を飲み込む事が出来ない性質でした。

悲しみを誰かと共有したかったのかもしれません。

 私もやっぱりそうだったのだと、父の言葉に祖父の容体の急変を確認したのでした。

心しなければ、と、真摯に目前に迫る祖父の死を覚悟するのでした。

 朝になったらお医者さんを呼ぶからと、父は寝所に戻りました。

私も布団に潜り込むと、祖父の事は祖父の事で確かに心配でしたが、直に睡魔が襲って来て眠り込んでしまいました。