Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

新しい目、11

2016-10-18 21:44:11 | 日記

 祖父は老衰で亡くなりました。闘病というような陰惨な感じがあまり無く、静かに横たわった日々でした。

それでも最後の時期には死が近い兆しがありました。

 春になる頃だったでしょうか、水ぬるむ頃、寒さが引いて行く頃です。

ある夜の事です。明け方に近い頃でした。

私はふいに目が覚めました。身動きしようとしましたが動けません。

何だか重い物が自分に乗っかっているような感じです。

『何で動けないんだろう?』

不思議に思って、よいしょと肘をつくと、上半身の方は起き上がれそうな感じです。

足先が動かないのだと、半身身を起こしてみることにしました。と、やはり判断した通りに腰から上は起こせました。

 この頃漸く、私は大分目が覚めて来ましたから、闇の中の物音が聞こえるようになりました。

はぁはぁと、何かの荒い息遣いが聞こえます。どんな生き物の息か分かりませんが相当荒いようです。

『猫かしら?』

 何処か戸の隙間から猫が入って来て、私の布団の上で寝ているのかしらと、

私は息のする方に手を伸ばしてみます。

すると、手に触れたのは猫のやわらかい毛波ではなく硬い物。

しかも猫の体ように小さな長い肢体では無く、丸い壺のような物、瓜のような物でした。

 その瓜状の物をそっと撫で回してみると、荒い息づかいはその丸い塊が発しているのでした。

私の寝ぼけ眼が確りして来ると、その丸い塊が暗闇で細部の形を表してきました。

凹凸のある瓜状の塊、それは祖父の顔でした。

「お祖父ちゃん」

ハッと気が付くと、私は事の次第がようやく分かって来ました。

私の動けない足を漸くの事で布団から引きずり出すと、よろけながら慌てて部屋の電灯を点けて見ます。

明るくなった部屋の様子を見て、私は確り事態が分かり仰天しました。

 私の布団の上に襖が倒れて重なり、その襖の上に祖父が仰向けに横たわり、はぁはぁと荒い息をしています。

目は閉じられたままです。とても苦しそうでした。

 祖父はいつも私と妹の寝ている部屋の隣、仏間で横たわっていましたが、

荒い息づかいでも分かるように、その夜容体が急変して、相当苦しい息の下、布団を這い出し、

私達と仏間の間の襖を押し倒し、襖ごと私の布団の上に倒れ込んだのでしょう。

「お父さん、お父さん、大変、お祖父ちゃんが。」

そう叫んで別室の父を呼びます。

 父は何事かと、眠い目を擦りながらやおら起きて来ました。

もう明け方に近く、丁度草木も眠る丑三つ時も過ぎた頃です、

部屋に辿り着いた父は相当眠かったと見えて、私の言う事に対して、

暫くは視点も定まらないようなぼーっとした歯切れの悪い返事をしていました。

その後固まったように部屋の様子を凝視した父は、漸くハッとした感じで、

「おとっちゃん」

と、絶句しました。

 この間、祖父は目も明かない様子ではぁはぁと苦しい息を続けていました。

私は如何してよいか分からず、手をこまねいて父の指示を待っていました。 

 

 


新しい目、10

2016-10-18 21:18:29 | 日記

 祖父は暫く寝たっきりの生活を送っていました。

家族や近くの親戚でお風呂に入れたり、私も母の留守に祖父の昼食を作ったり、

皆で協力して祖父の介護生活をしていました。どの位そうしていたか覚えていませんが、

早ければ小学校6年生の頃からそうであったかもしれません。

そうすると、2年半程でしょうか。

祖父は祖母が亡くなってからは表に出しませんでしたが、相当堪えていたようでした。

今から思うと、5年生の交通事故の時に、

「なんであの車の間に入らなかったのか、どうして避けてしまったのか。」

と、呟いていました。

避けたから事故に遭わなかったのよ、変なお祖父ちゃん、私は当然のようにそんな事を言った覚えがあります。

子供だった私は、連れ合いを亡くし、比翼の片方を失くしてしまった祖父の、

思わず漏らしてしまった呆然自失の片言を、聞き流さずに真面目に受けてしまったのでした。

祖父はこの独り言を聞かれたく無かったのでしょう、

後から来た伯母にも祖父のこの言葉を、お祖父ちゃんが変なことを言うのだと言ってしまったので、

その後我に返った祖父は相当憤ったのでしょう。聞かれたくない言葉を聞いてしまった幼い孫、

子供に馬鹿にされたというよりも、弱音を聞かれて男の沽券にかかわるというような、

そんな自尊心から怒りが湧いたのでしょう。書いていると何でも思い当たって来る物ですね。

 


新しい目、9

2016-10-18 20:38:01 | 日記

 Gさんも加えて、2年生のクラスではごく普通の中学生の生活が出来ました。

Gさんも出来るだけ学校に出て来てくれていました。

HさんやIさんとは部活動も一緒でした。放課後も楽しく活動して、その後それぞれの家に行ったりしました。

 Hさんと、Iさんはアイドル歌手に夢中で、それぞれにファンの歌手がいました。

そうなると面白い事に、2人で相手の歌手のけなし合いをするのです、それが楽しみだったのでしょうね。

お互いにじゃれ合っていたのです。傍らで見聞きしている私はそれも物珍しく新鮮な出来事でした。

 芸能界については今まで全く関心が無かったので、2人に私が誰のファンかと聞かれても言えません。

早速レコードを買ってもらう事にして、その前にプレーヤを購入してもらいました。

2人に教えてもらったレコード店に3人で行くと、流行りの歌手やレコードを教えてもらいました。

S&G、ミッシエルポルナレフ、ザ・ビートルズなど、どれでもいいというお勧めの中から、

S&Gのシングル盤を買ってきました。サウンドオブサイレンスだったような気がします。

 その後も、お小遣いでぽつぽつレコードを買い足しました。

レコード店は商店街にあり、そのせいで商店街にも1人でよく行くようになりました。

Iさんとは放課後繁華街のラーメン店に寄り道、買い食いなどしました。

美味しいタコ焼き店も彼女達に紹介されたように思います

このお店には、普段家族と商店街に買い物に行くと買いに寄ったものです。

 学校帰りにラーメンを買い食いすれば、夕飯が食べられないのが当たり前なのですが、

「その様子ではどこかで買い食いしてきたね。

と、母にバレるのが嫌で、ラーメン+夕飯8分目を食べるのでした。

この頃は痩せの大食いでしたね。

芸能界に商店街、新しい世界を見たような時期でした。

そして、2年生の春祭りの翌日、ふっという感じで祖父が他界したのでした。

 


新しい目、8

2016-10-18 13:50:13 | 日記

 新学年が始まって何日か経ちましたが、やはりGさんは学校に姿を見せませんでした。

やっぱりね、と私は思います。

何時学校に来るのかしらと思いながら、他のクラスの友人にも勧められて、

今のクラスで全く新しい友人を作る事にします。

 きょろきょろと自分の周囲を見回すと、丁度机の傍で私と同じように周りを見回している子がいました。

名前をHさんとします。Hさんと目が合ったのでこんにちはと話しかけてみます。

話してみると、向こうも親しい人が全く居ないクラスで2、3日寂しく戸惑っていたそうです。

それに私と同じようにクラスが分かれた親友から、今のクラスで新しい友達を探すよう言われたそうでした。

 まあ、偶然ねと話しながら、早速お友達になりました。

そして、翌日にはもう1人友達が増えました。名前をIさんとします。

IさんはHさんの小学校時代の友達だそうで、気が付くとクラスにいたそうでした。

Hさんから紹介されて、私とIさんは共に宜しくねと挨拶し合いました。

Iさんが明るい感じの人で良かったと思いました。

 Hさんは如何にも女の子といった感じの大人しい子でしたが、Iさんはボーイッシュで活発な子でした。

よく男子とも言い合いをして、何だ、かんだと言い返していました。

この2人のおかげで、向こうの小学校から来た男子とも少し話ができるようになりました。

2人はよく話す男子が数人いて、その傍らにいて2言と3言と、

慣れる内に私も合の手を入れて喋る程度になりました。

中には話の面白い人がいて、笑い話を披露してくれたりしました

そして私は段々とこの2年生のクラスにも慣れて行きました。

 1、2週間程して、漸くGさんが出てきました。私は待ってましたとばかりに2人にGさんを紹介するのでした。

3人はもちろん小学校が同じだったので、今更という感じでした。紹介する程の事も無かったのでした。

この時、Gさんがよく休んでいた理由が分かりました。体が弱いそうでした。

それでそう毎日は登校できないのだそうでした。

 そうか、それでは友人もそうできないだろうと、

私はGさんと今までより以上に親しくしなければと思うのでした。

 

 

 


新しい目、7

2016-10-18 11:23:47 | 日記

 2年生になりました。

クラスに入って見回すと、親しかった子が誰もいないのでがっかりしました。

1人でどうしましょう。心細く感じたものです。

1年時の嫌がらせは3学期には暫く影を潜めていたのですが、

新しいクラスではどうなるのでしょう?

 見ると男子の名の中に意地悪だった子の1番頭がい無くなったのでホッとしました。

でも、また何が起こるか分からないと、私は自分の行動に油断禁物でいました。

1年のクラスのように、私を庇ってくれるような友人が誰もいないのです。

何かしら難癖をつけられないように、私には更なる気配りが必要に思えました。

 1年の時には、3回目のトラブルの後不用意に男子に近付くのは厳禁と、

男子の黒い制服の塊が見えると眉をひそめて近付かない事にしていました。

他にも、トラブルのあった男子とは視線を合わせないよう、休み時間の教室ではノートか教科書を眺め、

話すのは親しい女子だけ。男子とは必要以外(連絡事項以外)の会話はしない事を徹底していました。

 さて、眺めると、2年の名簿の中には1年の時に友人になった女子が1人いました。

1年時にはクラスが違い、向こうの小学校から来た女子生徒でもありました。

その子は1年時にはかなり休みが多く、知り合ったのも入学後かなり経って登校して来た頃でした。

何の接点もなさそうな2人が如何して友人になったかというと、

とても単純な理由からでした。廊下で挨拶されたからです。

 私が廊下を歩いていると、行き成りこんにちはと笑顔で挨拶されたのです。

えっ、知らない子なのにと私は怪訝に思ったものです。

その後も2、3回いかにもにこやかに親しげに挨拶されて、

私にすると、とても不思議でしょうが無かったものです。

 誰かと聞いても、いいから、いいからという具合で、何時もにこやかです。 

その後も廊下で会うと挨拶されました。

それで、ある日、その子の姿を廊下の向こうに認めた私は

向こうから挨拶される前に、こんにちはと笑顔で挨拶しました。

 何時もは自分から挨拶するのに、私の方から挨拶した事で、今度はその子の方が面食らっていました。

暫く怯えた感じで近寄って来ませんでした。  

私が笑顔でおいでおいでをするとにこやかになりました。

そして、近づいて来た時には何時もの笑顔で、何だか嬉しそうでした。

その時、自分は休みが多いから、友達になっても学校であまり会えないけど、と、心配そうに言われました。

それでもいい?と確認されて、

私は学校に来た時だけでいいよ、お友達になるのはと答えたと思います。

こんな風にその人は相手に対して気配りのある人でした。名前をGさんとします。

girl のGさんと思ってね。