結論からいくと、個人個人の問題になってしまった理由では転校できないようでした。
事実、私の誰それ君のせいで転校したいというのは転校理由になりませんでした。
個と団体というのであれば転校できたようですが、もう遅すぎたという事なのでしょう。
個人個人になってくると、相性が合う人もいれば合わない人もいるという事で、
集団の中に入るとそれなりにグループ化されて、皆馴染んで居る事が出来るようになってしまうのでした。
そういった社会的な共同生活の仕組みについて、当時、家の場合は親も子もよく分かっていなかったのです。
私はいつまでも転校にならなくて、幼い悩みを抱えていました。
今から思うとそうです。
見知らぬ生徒ばかりの学校に突然入って行って馴染めるかどうか、
2学期も過ぎる頃ではもう向こうの中学のグループも固まっている事でしょうから、
私は孤立する確率が高かったでしょう。
只、孤立したらしたで私は学業に邁進したことでしょう。
転校したい理由の1つが、落ち着いて勉強出来無い事でしたから、それは確かです。
この理由は父を納得させるための物ではなく、本当にそうだったのです。
後にも書きますが(その予定です)、どうもこの嫌がらせにしても、
私の学業の妨げに誰かが裏で糸を引いていたような気がします。
私の勉強の邪魔をしていた人物が確かにいたのです。
これは私の錯覚や誤解では無く、後に目の前に現れる事実として現れて来ます。
その後、担任の先生から、事件の時の状況や、その後の向こうの様子などを聞かれ、
その男子生徒に限った問題などで幾つか質問がされました。
例えば、わざと手を乗せたのか、気が付いた時避けられなかったのか、
もしかしたら私がその男子生徒を好きで手を乗せたのではないか、
向こうはそう言っているとか。
そう言った先生の質問を受けて、こちらも段々と自分の置かれている状況が分かって来ます。
向こうにしても、私が先生に訴えていたので職員室に呼ばれ、幾つか質問されていたようです。
数日経つ内に態度は変わり、私にとっては無関心なクラスメートの1人に戻りました。
元々私にとっては何という感情も持っていない、クラスが一緒というだけのクラスメートでした。
実際、もう名前も覚えていないのです。顔も覚えていません。
嫌な事は忘れる、これは私の特技なのかもしれません。
今まですっかり忘れていました。これを書いていて思い出しただけです。悪しからず。