数日して、祖母は良いことを思いついたという感じで、にこにこして私を呼びました。
「お祖母ちゃん考えたんだけど」
と、オブラートの効用をもう一度説明した後、
嫌な目にあう時は、物事は何でもまず大抵は見る事から始まるから、嫌な事を見なければ嫌だと思わないんだよ。
嫌な事に出会った時に、人生にはオブラートが無いから、ほら、オブラートってこんな風に透けているだろう。
祖母はオブラートを透かして私に見せてくれます。
オブラートは透けているけど、向こう側がよく見えない。
すっきりくっきりという具合に向こう側の物はよく目に映らない。
これだよ、人生のオブラートという物は。
?
分かりましたか?
私は祖母のいう、意味するところがさっぱり分かりませんでした。幼かったですからね。
つまり、と祖母は言います。私に分かっていないという事がよく分かっていたんですね。
これから出会う世の中の事は、全てこのオブラート越しに眺めればいいんだよ。
そうすれば嫌な物がすっきりくっきり目に映らないから、そう嫌な思いもせずに人生を過ごす事ができる。
そうしなさい。
うんうん、これは良い事を思いついた、という具合に祖母は手を打っていました。
そんな話を私は思いだして、Fさんに話すのでした。
それって、とFさんは言って黙りました。そして、いい事なのかなと考えていましたが、
私の絵と同じように、妙な考えだと思ったようでした。
今から思うと、物事すっきり見た方がよいに決まっています。
物事の真実が分からなくなってしまいますからね。
ただ、昔のようにお日様に照らされている月に例えられるように、受け身の生き方が主流であった明治の女性には、
こういう生き方が世を渡る術、理想に思われたのかもしれません。
辛い現実が多い女性達だったんでしょうね。
それでも、家の祖母は祖父に可なり大切にされていた人で、所謂上げ膳据え膳、
料理の一つもさせてもらえないような、家事などさせないお雛様で置かれた人だとか、それでさえこうです。
そして、祖父は祖母の宝物でした
人は自分の宝物を必ず持っている、そんな話も祖母はしてくれました。
「自分の宝を見つけたら、決して離してはいけないよ」と、
大事に懐に仕舞って、一生大切に持っていなさい。決して人に渡してはいけないと。
また、人の宝は取ってはいけない、それはその人の宝物だから
と、教えてくれたものです。