Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

新しい目、5

2016-10-16 23:13:57 | 日記

 転校問題が再熱したのです。

しかも、今回私はかなり本気でした。

本当に向こうの小学校から来たクラスの男子に、私はうんざりしてしまいましたから、

父に相談する前にこうと自分で決めると、一気に職員室に申し出に行きました。

担任の先生は、分かりました手続しましょう、と、直ぐに返事をしてくださったので、

案外言いだしてみると事は早いのだと、『案ずるより産むが易し』だなと思いほっとしました。

私は今まで溜まっていた物を吐き出したようで、自分の肩の荷が軽くなった気がしたものです。

 その日家に帰ると早速、父の帰宅を待って転校の話を切り出します。

父は

「実は先生との話し合いで、次にお前が自分で職員室に言いに来たら、転校の手続きをする事になっていた。」

と言うのです。

 それで先生の対応も早かったのだと私は合点がいきました。

「そうか、それならそれに合わせてこちらも用意しないと。」

父はそう言って、親子共に転校の意思を固めるのでした。

 それから2日ほど、私は担任の先生からの呼び出しを待っていましたが、全然音沙汰は無く、

とうとう職員室まで進捗状況を聞きに行くことにしました。

 職員室をのぞくと、担任の先生が自分の場所に座っておられました。

私は転校の手続きはどうなっているのでしょうか、と尋ねてみました。

先生はそんな事聞いていませんと仰るので、私は面食らってしまいました。

当時の私には、書類作成など、手続きは全部先生がされるのだと思っていたので、

私が2日ほど前に転校の話をしたのを、先生が聞いていないと仰るのだと思えました。

それで、2日ほど前の何時頃に私が直接○○先生に申し出ましたけれど、と言わざるおえません。

 ああそれね、と、先生。

先生は書類の手配はされていたようです、それで、と転校理由など聞かれました。

私は、何時何時に、私がこうこうしていると誰それ君がこうしてこうなってその後どうと、説明します。

先生は、クラスの男子何人かではなく1人の男子に限った事と知ると、

一寸今までと事情が違うからと、すぐには手続き出来ない、今回の事情をよく調べてからと、

時間が掛かる事を仰います。 

 私にすると今までが結構長くて、クラスの男子からの嫌がらせが3度目になっていたので、

こうやって職員室にまで申し出たのですが、事情が違うという事には思い至れず、

すぐに納得はできませんでした。

それでも、家での父の様子や、私の決意から転校は決定事項だと思っていました。

 時間がかかるのかと溜息でしたが、こうやって自分でも転校に向けて動き出したのですから、

あとは学校の処理を待ちながら、家族と準備を進めて行こうと決めて、職員室を後にしたのでした。

 

 

 


新しい目、4

2016-10-16 22:06:10 | 日記

 中学生になって、苛め問題の他に私にはもう一つ悩みがありました。

本業の学業の事でした。小学校の時と違って点数がなかなか取れませんでした。

しかも学年順位も出てくるので、自分の成績がそれほど良いという訳では無い事がわかります。

酷く下がりはしませんでしたが、そう上りもしないという停滞前線状態で困っていました。

 のんびりしてる私でも、これは何とかしなければと思います。

自分で試験の答案の見直しをして、どんな所で点数が伸びないのか、

それにはどうしたら点数が取れるのかを分析してみます。

自分に合った勉強法を考えてみたのです。

 こうすれば良いのではないか、と、試しに実行してみました、

その結果、取れなかった教科の点数が30点以上伸びました。

そのおかげで、順位的にも60人以上を抜きました。

もちろん先生からお褒めの言葉があり、クラスで発表されました。

それだけ一気に順位を上げたのは、今迄で初めての事ですとまで評されて、

私は一時とても嬉しいと喜びましたが、すぐにそれだけ抜ける程の低位置にいたという事がばれてしまったと、

恥ずかしくなってしまいました。

 それでも友達は凄いじゃないと祝福してくれましたが、

私にはそれもお愛想のように聞こえてしまいました。

 当時、それまでの自分の成績を思い返してみて、今までの自分はそれだけ低い位置にいたのだなと、

この件でかなり反省したものでした。

 この頃だったでしょうか、またちょっとした事件がありました。

クラスの男子生徒1人ともめてしまったのです。

もめたと言っても激しいものではありません。

 ある日、私はついうっかり階段を下りる時に、

ポンポンポンと弾みを付けて、手すりに手をつきながら降りていましたが、

その手が下りた所に、その男子生徒の手が丁度置かれたところだったので、

タイミングよく(悪く)2人の手が重なってしまったのです。

しかも私の手が後乗せの形になりました。

 私は一瞬、困ったと思いました。

反射的に、直ぐごめんなさいと謝りましたが、向こうは酷く怒って四の五の言い出し、

すぐ近くの手洗いに手を洗いに行きました。

 私もこっそり、嫌味にならないよう気を付けて階下迄手を洗いに行きました。

その後2日ほどその男子は、私に手を触られたとか、ばい菌が移ったとか、

ごねごねクラスや廊下で、近くの男子に同意を求めるように苦情を言っていました。

 私にするとまたかという感じで、すぐに謝ったのに相変わらず男子の態度は変わらないと思ったものです。

しかも、階段を下りた時、ぽんぽんぽんと拍子をとっていた私の手が、何時何処に降りるか予想できた事から

何となく、わざとタイミングよく向こうが手を出したようにも思えたので、

結果的には私の方が後乗せで手が上になってしまいましたが、

何だかわざと言いがかりをつけるために手を先に置くという、作為的な行為をしたようにも取れて、

やはり相変わらずの嫌がらせ体質を見受けた気がしたものです。

 今回私は怒りました。

確かに私が手を乗せたのですが、すぐに謝りましたし、向こうが怒ったのは当然と思えても、

それを2、3日も引きずるのはどうかと考えたのです。

 はっきり言って、男らしく無いですよね。

それで、今回は私もはっきり転校をしようと、自分から担任の先生に申し出ることにしました。

 

 


新しい目、3

2016-10-16 11:54:29 | 日記

 夏休みに入ってすぐ、課外授業、キャンプがありました。

以前にも書きましたが、私は休まずに参加しました。

課外活動は男子と女子でグループが分かれていたので、そう心配していませんでした。

が、不安が無かったかと言うと、それは確かに私の心の隅にありました。

 しかし、キャンプ場は男女ですっかり分かれた自炊やテント生活でした。

実際に男女一緒なのはキャンプファイヤー程度でしたから、特に問題はありませんでした。

私を囃子立てる声や、意地悪な男子の姿を全く見ませんでしたから

案外向こうが欠席していたのかもしれません。

 その後、父にしても何かしら中学校へ訴えかけてくれたたようです。

2学期に入ると、担任の先生からホームルームで一言ありました。

他にも、多分、学年主任の先生でしょう、授業中に私の事らしい注意の話をされる先生がおられました。

試験結果や、その他学校行事などでも、折に触れて私は取り成していただけ、

クローズアップしていただいたので、自然クラスでもそれなりに優秀だという認識が定着して行きました。

秋も深まる頃には、私の存在はクラスに溶け込んで行きました。

 秋と言えば学校祭、中学で初めての学校祭です。小学校時代も学校祭は大好きでしたが、

進級して下級生となった私(達)にとって、どんな学校祭になるのだろうと興味津々でした。

校内を見回ると、かなり育った3年生、まだそれなりに新しさの残る2年生、大きめの制服に幼さの香る同級生

と、私には和やかに過ぎた学芸会、展覧会、バザーでした。

 学校行事といえば、春には運動会がありました。運動会にもバザーがあり、嬉しく食堂通いをしたものです。

校庭ではアイスクリームやお菓子なども販売され、

小学校とは違う、食べ盛りの生徒に合わせた雰囲気に嬉しい驚きを感じたものです。

私は食べる事が大好きな女の子だったので、この点では中学校が幸せな学校に思えたものです。